レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/7/12
- 登録日時
- 2017/11/27 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:32
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000538
- 質問
-
解決
【ファブリカという解剖書について】 ファブリカという解剖書がいつごろ日本に入ってきたのか知りたい。江戸時代初期に加賀の前田家が入手したらしい。
- 回答
-
『人体解剖のすべて 解剖学への招待』(111932677)p.77によると、ファブリカは1543年にベルギーのアンドレアス・ヴェサリウスという人が出版した。p.171に「徳川幕府は、三大将軍家光の時代以来、書籍の輸入を長らく制限していました。八代将軍吉宗が、一七二〇(享保五)年にこの制限を緩和したので、ようやく日本にヨーロッパの医学書が広まるようになりました。」との記載あり。ファブリカが日本に入ってきた年は記載されていない。
CiNiiによると、1543年の初版本は国際日本文化センター・札幌医科大学・明治大学が所蔵している。
【URL】http://ci.nii.ac.jp/books/
加賀藩が入手したことに関して、『ブリュッセルのアンドレアス・ヴェサリウス』(112282450)、『ヴェサリウスの生涯 生物化学の創造者』(129101050)、『加賀藩旧蔵洋書総合目録』(119961227)には記載がなかった。
『北陸史学 第55号』(109151395)p.81-98「加賀藩蘭学の受容と医者の動向」p.82に「加賀藩では蘭学の先駆者として、五代藩主前田綱紀が天和三年(一六八三)オランダのドドネウス本草書を求めたことは著名」との記載あり。
『北陸英学史研究 第1輯』(11918803)p.53-56「「ドドネウス」と「アタラス・ノウヘアウ」」p.53に「加賀藩には旧くから「ドドネウス」と「アタラス・ノウヘアウ」なる洋書をもっていた」との記載あり。
このことから、加賀藩が入手したのはファブリカではなく、ドドネウス本草書とアタラス・ノウヘアウであることがわかった。
国立国会図書館ホームページ「江戸時代の日蘭交流」に野呂元丈訳のドドネウス『草木誌』、『阿蘭陀本草和解』 が記載されている。
【URL】http://iss.ndl.go.jp/books/R000000033-I000001644-00
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 自然科学 (4 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000225453