レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/08/30
- 登録日時
- 2018/03/23 00:30
- 更新日時
- 2018/04/06 11:41
- 管理番号
- R1000914
- 質問
-
解決
佐世保海軍工廠(こうしょう)に関するレファレンス。
当時日本最大の軍艦だった航空母艦「赤城(あかぎ)」が1935~38(昭和10~13)に、また2番目に大きな航空母艦「加賀」が1933~35(昭和8~10)にそれぞれ佐世保工廠で大改装を行っているが、その時に使用された船渠(せんきょ)を確認したい。
佐世保に所蔵していると思われる『佐世保海軍工廠史』に載っていないだろうか。
- 回答
-
「加賀」については昭和7年~11年の第4船渠の使用確認済み。
「赤城」については使用船渠の確認はできませんでしたが、昭和9年に佐世保工廠にきていたことは確認できました。
裏づけとなる国立公文書館「アジア歴史センター」のWeb資料を紹介。
- 回答プロセス
-
1.質問者がお探しの資料、およびその他関連資料の所蔵調査(郷土資料室担当へ)
→『佐世保海軍工廠史』という資料については所蔵・出版共に確認できず。
類似タイトル
・『佐世保海軍工廠』 沿革史編・関連概史編・資料編(3冊)あり
本館所蔵の上記3冊について内容を確認したが、船渠についての記載は確認できず(郷土担当)
2.国立国会図書館NDLサーチ“『佐世保海軍工廠史』”or『佐世保海軍工廠』
→該当なし
3.国立公文書館「アジア歴史資料センター」(http://www.jacar.go.jp/)
資料の閲覧と表示されている検索窓からキーワード検索“佐世保海軍+加賀+赤城”
→No.5、『第2004号9.5.3 軍艦山城、金剛、比叡、赤城、多摩特務艦神威(榛名・伊勢・扶桑)(龍田、加賀)艦載端艇換装の件』ヒット
JPEG資料により、昭和9年に「赤城」「加賀」が佐世保工廠にきていたことを確認。
(レファレンスコード C05023567800)
更に、キーワード検索“船渠+佐世保+加賀”
→6件
そのうち昭和7年~11年の資料に航空母艦加賀の航泊日誌4件あり。
(レファレンスコードC11038979600、C11083981500、C11083985100、C11083986600)
4件全てにおいて「第四船渠入渠中」と記載あり。
質問の時期と一致しているので「加賀」については第4船渠を使用したことが
裏付けられる。
同様に「赤城」についても検索したが、こちらは確認できず。
WEB資料により、当時「加賀」の佐世保工廠第4船渠使用についての確認と、当館所蔵資料とHPおよびWeb資料の紹介をもって調査終了。
- 事前調査事項
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質問者からの事前聞き取り内容
旧佐世保海軍工廠(こうしょう)には7つのドッグがあり、1941年に完成した第7船渠(せんきょ)が最大で、次が1913年に完成の第4船渠であった。
第4船渠は完成当時日本最大のドックであったので、船の大きさから考えると第4船渠以外の可能性はないのだが、文献では確認できなかった。
『佐世保海軍工廠史』は国立国会図書館サーチ(NDL)でヒットしないことを確認済み。
- NDC
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- 海軍 (397)
- 参考資料
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- 佐世保海軍工廠 沿革史編 堤 重範/編 1992 397 (同タイトルの関連概史編(0130148604)・資料編(0130148588)についても同じ。)
- 佐世保海軍工廠 関連概史編 堤 重範/編 1992 397
- 佐世保海軍工廠 資料編 堤 重範/編 1992 397
- 国立公文書館「アジア歴史資料センター」 http://www.jacar.go.jp/ 2018/3/23
- キーワード
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- 海軍工廠
- 航空母艦
- 赤城
- 加賀
- 佐世保
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 「アジア歴史資料センター」WEBサイト上の資料(防衛省防衛研究所所蔵)は、WEB上で画像閲覧可能
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000232903