レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月28日
- 登録日時
- 2017/03/09 19:31
- 更新日時
- 2017/03/31 14:19
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2016-034
- 質問
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解決
祖母が通った名古屋市立庄内小学校が最初にあった場所はどこですか。昔、義校と呼ばれていたそうですが、義校とは何ですか。
- 回答
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『庄内』名古屋市立庄内小学校 1973年刊 に詳しく書かれています。庄内小学校は、明治6年2月12日に新福寺を借りて名塚村、堀越村、新福寺村、児玉村の4村が共同で作った義校が始まりです。明治7年5月に培根(ばいこん)学校と改名、明治9年8月に新福学校と改名しました。明治17年7月に初めて校舎が建設されました。場所は現在の春日井製菓笠取北工場の場所です。(p.15)明治24年10月28日に濃尾地震によって倒壊した校舎を翌年4月に建替え、庄内村立名塚尋常小学校と改名し、明治27年に庄内尋常小学校と改名しました。明治33年に義務教育となり児童数が増えたため、現在の庄内用水惣兵衛川に架かる名塚橋の北にある庚申塚の西あたりに校舎が造られ、庄内尋常高等小学校になりました。(p.23)大正14年9月20日に新福寺の西側の新しい校舎に移転しました。(p.26)
『庄内』が刊行された後、平成4年11月に現在の位置に移転しました。
義校は『広辞苑 第6版』には以下のように書かれています。p.670「小学校の前身をなす簡易な初等学校。一般住民の協力により、主として寄付金によって設立。1871年(明治4)名古屋に創設、72~73年頃愛知県・岐阜県で多数設立。」
『愛知県教育史 第3巻』に義校設立の経緯が書かれています。明治4年7月に廃藩置県によって設置された名古屋県は平民が学ぶ学校として義校を設けることとしその設立を奨励しました。(p.77)
- 回答プロセス
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学校史なので、庄内小学校の学校誌を調べました。『庄内』が刊行された1973年当時に「現在の~」と場所を記述しているので、1973年発行の住宅地図での確認が必要でした。
義校を『広辞苑』で調べ、主に愛知県に設立された学校とわかりました。『愛知県教育史』で確認しました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376 9版)
- 参考資料
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庄内 : 創立百周年記念. 名古屋市立庄内小学校, 1973.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001429650-00 -
愛知県教育委員会. 愛知県教育史 第3巻 (近代 1). 愛知県教育委員会, 1973.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001190280-00 -
新村出 編 , 新村, 出, 1876-1967. 広辞苑 第6版. 岩波書店, 2008.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009251951-00
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庄内 : 創立百周年記念. 名古屋市立庄内小学校, 1973.
- キーワード
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- 名古屋市立庄内小学校
- 学校-名古屋市
- 義校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000211391