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・讃岐人物風景 14 近代の異能者たち 四国新聞社/編 丸山学芸図書 1986
※p.7-63「三木武吉」の項有。
p.15に「行不由径」と書かれた書の写真の掲載があり、
「三木の書(雅号・雷庵)」という解説がついている。
・三木武吉太閤記 生きた政治史 重盛久治/著 春陽堂書店 1956.9
※参考になる記述がありましたのでご紹介します。
○p.279-281「落雷は「号」に通ずる」の項
「・・・ところがだ、その明治36年(※武吉19歳の頃と思われる)に、アメリカのブライアンという政治家が日本に来てだ、・・・」
○p.281-283「魂で物をいう稽古」の項
「・・・わしはすっかりブライアン氏に心酔してしもうたのだ。
そこでさっきいった”号”もだ、『武蕾庵(ぶらいあん)』ということにしたのだ」
・・・(略)・・・
「そうしてわしはこの武蕾庵という号をしばらく用いていたがだ、ゴロの関係で、友人どもが
皆無頼漢無頼漢というようになったので、こいつはいかんと考えて『武』を除き『蕾庵』とすることにして
最近まで書にはこれを用いていた」
・・・(略)・・・
「そのかわりだ、わしの本名の『武(たけ)』を『ぶ』と音読みになおした。というのはだ、
わしはもともと『ぶきち』ではなく、宮本武蔵が『たけぞう』であったように、『三木たけよし』だったのだ。
それを『ぶきち』としたのだ。
『ブライアン氏の雄弁、三木に改名さす』だ。
ところがだ、先日あるところでぜひ一筆とせがまれて「-行不由径-」
と、論語の一節を書いて、さて蕾庵と記そうとしたとたん、
『わしもよわいいつか七十歳(※武吉70歳ならば、昭和29年頃か?)くらい)を越えた。七十を越えて”蕾(つぼみ)”でもなかろう?』
こう考えたわしは、蕾庵から草冠りを除って『雷庵』とした。・・・」
※下記の伝記を確認しましたが、号に関する記述は発見できませんでした。
・三木武吉 三木会/編 三木会 1958.7
・三木武吉先生眞蹟詩帖 三木武吉/著 金子正則 1972
・小説三木武吉 杉森久英/著 集英社 1970
・小説 三木武吉 戸川猪佐武/著 角川書店 1984
・誠心誠意、嘘をつく 自民党を生んだ男・三木武吉の生涯 水木楊/著 日本経済新聞社 2005.7
・三木武吉先生の政歴 牟田国光/著 牟田国光 1982
※下記の資料に三木武吉の掲載はありましたが、号に関する記述はありませんでした。
・香川県人物・人名事典 四国新聞社/編 四国新聞社 1985
・香川県大百科事典 四国新聞社出版委員会/編 四国新聞社 1984
・讃岐人名辞書 梶原竹軒/著 高松製版印刷所 1936.2
・讃岐人名辞書 続 磯野実/編 藤田書店 1985.1
・香川県人物・人材情報リスト 2000 日外アソシエーツ/編 日外アソシエーツ 2000.1
(ご参考)
ネット上の「思文閣 美術人名辞典」
http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_number.php?number=31027に次の情報があります。
「三木武吉 みき ぶきち
政治家。香川県生。号は蕾庵。昭和31年(1956)歿、71才。」