レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年08月18日
- 登録日時
- 2016/10/20 16:22
- 更新日時
- 2017/01/04 16:14
- 管理番号
- 埼熊-2016-061
- 質問
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解決
大陸等から渡ってきた「倭人(わじん)」が信州の安曇野に来たことについて書かれたものを見たい。
- 回答
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「倭」は七世紀以前の日本の呼名(『日本史大事典 第6巻 へ〜わ』(平凡社 1994)より)で、「「倭人」が安曇野に来た」という記述のある資料は見つからなかった。調査の過程で確認できた古代「安曇氏」(「安曇族」「阿曇族」)が安曇郡に来たことについて書かれた資料を紹介した。
『日本の古代 8 海人の伝統』(岸俊男[ほか]編 中央公論社 1987)
p177-232「海人族のウヂを探り東漸を追う」(黛弘道)あり。
p185-191「阿曇連」について記述あり。
p195-197「阿曇氏の故地」に信濃の阿曇氏がどこからやってきたのかについて記述あり。(阿曇連の祖神発現の地を九州の筑前国糟屋郡安曇郷のあたりとしている。)
笹川尚紀著「信濃の安曇」(『信濃 55(7)』p35-49 信濃史学会 2003.7)
p527「おわりに」に「信濃国に何故に阿曇部が存在するのかという疑問に対し、阿曇氏と屯倉との繋がりを手掛かりとして、筑摩郡辛犬郷周辺に設置された屯倉の管理・運営に中央から派遣された阿曇氏の者が当たったと想定、その地域との結び付きが深まるに応じて阿曇部が設定されるに及んだとの憶測」が述べられている。
『歴史を運んだ船 神話・伝説の実証』(茂在寅男著 東海大学出版会 1984)
p83 「(前略)もともと穂高は南安曇郡にあり、安曇族の移り住んだ土地である。すなわち、海人族の移住の地なのである。日本書紀巻第一には「アワキガハラノミソギハライ」のことが出ている。ここにはツツノオの三神の誕生について記録されており、その三神が住吉大神(すみのえのおおかみ)であることは、そしてこれは阿曇連(あずみのむらじ)らが祭る神であるとして、すでに日本書紀のはじめの方にアズミのことが出ていることを知ることができる。(後略)」とあり。また、斉明天皇七年七月に始まった唐・新羅と百済の戦争に派遣された軍の前将軍が「阿曇比羅夫(あずみのひらふ)」との記述あり。「これが白村江(はくすきのえ)で完膚なきまでに大敗する。阿(安)曇連(あずみのむらじ)が一部信州へ移り住むのはその後のことである。そして信州穂高に穂高見神を祭るのであるが、それは延喜5年の延喜式の中にすでにその名が見えている。」
『長野県史 民俗編 第5巻 総説 〔1〕 概説』(長野県編 長野県史刊行会 1991)
p715-716「穂高のお船祭り」に「このお船祭りは、安曇野を開拓した安曇族の祖神が、遠いむかし、海を渡って信濃の地に入ったことをしのぶものであるといわれている。」とあり。
『国史大辞典 1 あ-い』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1979)
p215「安曇氏(あずみうじ)」の項あり。「古代の豪族。阿曇とも記す。海人部(あまべ)の伴造として著名である。その発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(福岡県粕屋郡新宮町)と考えられている。(中略)なお、海人族としての安曇氏について、その種族的源流を東南アジアからインドネシア方面に求める説がある。安曇氏に黥面の風習のあったことは、「阿曇目」(中略)の語によって知られ、『肥前国風土記』に値嘉島の海人について、「此島白水郎要望似隼人、恒好騎射、其言語異俗人也」とあって、」とあり、隼人との間の親近性について記述あり。
『地名語源辞典』(山中襄太著 校倉書房 1989)
p25「あずみ(安曇、安津見、安積、安角)」の項に「安曇は古事記に綿津見(ワタツミノカミ、海神)の子孫と書いてある。福岡県の郷名安曇がこの海神族の本拠で、それから各地に移住分散した。長野県の安曇郡もその一つである。」とあり。
- 回答プロセス
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自館目録を〈安曇氏〉で検索した結果、書誌情報のみヒットするが、所蔵するもので該当するものはなし。
書名からキーワードに〈安曇族〉も加える。
自館目録を〈安曇族〉で検索するが、書誌情報がヒットするのみ。所蔵するものはなし。
参考資料を確認する。
『国史大辞典 1 あ-い』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1979)
『地名語源辞典』(山中襄太著 校倉書房 1989)
「倭人」について調査
『日本史大事典 第6巻 へ〜わ』(平凡社 1994)
p1287「倭(わ)」の項に「七世紀以前の日本の呼名。」とあり。「倭人」についても記述あるが、「大陸から渡ってきた」旨の記述はなし。
安曇野の郷土史料を確認する。
『長野県史 民俗編 第5巻 総説 〔1〕 概説』(長野県編 長野県史刊行会 1991)
『歴史を運んだ船 神話・伝説の実証』(茂在寅男著 東海大学出版会 1984)
《BOOKPLUS》(日外アソシエーツ)を〈安曇族〉で検索するが、該当しそうで所蔵するものはなし。
《CiNii Articles》(http://ci.nii.ac.jp/ 国立情報学研究所)を〈安曇族〉〈安曇 & 倭人〉〈安曇 & 海人〉で検索するが該当の記述のあるもの見つからず。
《Google》(https://www.google.co.jp/ Google)を〈安曇族 & 日本書紀〉で検索する
笹川尚紀著「信濃の安曇」(『信濃 55(7)』p35-49 信濃史学会 2003.7)
『日本の古代 8 海人の伝統』(岸俊男〔ほか〕編集 中央公論社 1987)
《埼玉県内公共図書館等横断検索システム》(http://cross.lib.pref.saitama.jp/ 埼玉県立図書館)を〈安曇族〉で検索する。
「安曇族」(亀山勝著 郁朋社 2004)
「信濃安曇族の謎を追う (近代文芸社新書) どこから来て、どこへ消えたか」(坂本博著 近代文芸社 2003)
「信濃安曇族のルーツを求めて(近代文藝社新書)」(坂本博著 近代文藝社 2012)
インターネット、データベースの最終アクセス日は2015年8月15日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
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- 『日本の古代 8 海人の伝統』(岸俊男ほか編 中央公論社 1987) , ISBN 4-12-402541-6
- 『信濃 55(7)』(p35-49 信濃史学会 2003.7)
- 『歴史を運んだ船 神話・伝説の実証』(茂在寅男著 東海大学出版会 1984) , ISBN 4-486-00817-0
- 『長野県史 民俗編 第5巻 総説 〔1〕 概説』(長野県編 長野県史刊行会 1991)
- 『国史大辞典 1 あ-い』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1979) , ISBN 4-642-00501-3
- 『地名語源辞典』(山中襄太著 校倉書房 1989) , ISBN 4-7517-0424-9
- キーワード
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- 倭人
- 安曇野(アズミノ)
- 長野県-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000198512