レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年01月17日
- 登録日時
- 2014/01/17 22:07
- 更新日時
- 2014/01/17 22:38
- 管理番号
- 20140117-9
- 質問
-
解決
芝辻理右衛門について知りたい。
- 回答
-
芝辻理右衛門 【しばつじ-りえもん】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E8%8A%9D%E8%BE%BB%E7%90%86%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 (2014/01/17確認)
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
芝辻理右衛門 しばつじ-りえもん
?-1634 江戸時代前期の鉄砲鍛冶(かじ)。
日本最初の火縄銃の製作者といわれる妙西(みょうさい)の孫。堺(さかい)で鉄砲鍛冶となる。慶長16年徳川家康から大坂城攻撃の大砲製作を命じられ,砲丸重量1貫500匁(約5.6kg)の鍛造砲をつくる。子孫は代々堺鉄砲鍛冶年寄役をついだ。寛永11年2月15日死去。和泉(いずみ)(大阪府)出身。名は助延(すけのぶ)。号は道逸。
国史大辞典
芝辻理右衛門 しばつじりえもん
? - 一六三四
江戸時代初期の堺鉄砲鍛冶。助延、入道して道逸と号した。祖先の清右衛門妙西は、種子島より得た火縄銃を手本として鉄砲を製作し、のち堺において鉄砲鍛冶を業とするようになったといわれる。理右衛門と徳川氏との関係は、堺政所の成瀬正成を通じて慶長十年(一六〇五)ころから始まり、このとき二挺の六匁玉筒を納めた。ついで同十四年には、大坂城砲撃の試作砲として一貫五百目玉の大筒を製作するよう命ぜられた。当時の大砲はほとんど鋳銅砲であって、鍛造による大砲の製作法が知られていなかったため苦心を重ね、同十六年になって完成を見た。・・・
[参考文献]
『堺市史』七
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 兵器.軍事工学 (559 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 芝辻理右衛門 しばつじりえもん
- 芝辻砲
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000143658