レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年04月01日
- 登録日時
- 2008/04/01 19:59
- 更新日時
- 2008/04/01 20:01
- 管理番号
- 松中央-07-33
- 質問
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明治・大正頃、松山にあった料亭「亀の井」について知りたい。正岡子規に漢詩を教えた浦屋雲林の邸跡にあったらしい。
- 回答
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断片的なものであるが、以下の資料に関連記述があり、ご紹介した。
<浦屋雲林から調べる>
(1)【資料1】『愛媛県百科大事典』の「浦屋雲林」の項には「亀の井」関連の記述はないが、子規が「浦屋先生村居の前を過ぎて」と前置きし、句を作っているとの記載がある。
(2)【資料2】『俳句の里松山』P.52、P.307・308に浦屋雲林とその邸跡を紹介して”雲林なきあとは、料亭「亀の井」となり、戦前の松山でその名を知られていた”との記述がある。
(3)その他、【資料3】P.98・99、【資料4】P.53でも碑が紹介されている。
<明治・大正期の松山から調べる>
(3)【資料5】『<復刻>松山案内』P.19~20「松山市の設備-料理屋」の項。”多人数の会席に応じうべき名あるもの”を挙げる、とした中に「亀の井」(柳井町)の名がある。
(4)【資料6】『わすれかけの街 松山戦前戦後』P.66・67に”料亭といっても、自分の家で調理ができる家は「梅の家」、「明治楼」、「亀乃井」、「桃太楼」など限られたもので…”との記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 個人伝記 (289)
- 詩歌 (911)
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県百科大事典 上』(愛媛新聞社・1985)|L031/エ/1
- 【資料2】『俳句の里松山』(松山市役所・1994)|L911.304/ハ
- 【資料3】『いしぶみ子規』(いしぶみ同好三人会・1986)|L911.302/キ
- 【資料4】『バスと電車でめぐる松山の句碑・歌碑』(神野昭・2000)|L911.302/シ
- 【資料5】『<復刻>松山案内』(松山市教育委員会・1975)|L291.83/マ
- 【資料6】『わすれかけの街 松山戦前戦後』(愛媛新聞社・2002)|L210.7/イ
- キーワード
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- 亀の井
- 亀乃井
- 料亭(松山)
- 浦屋雲林
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000043191