レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/08/26
- 登録日時
- 2016/10/07 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:38
- 管理番号
- M16082613583382
- 質問
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孟宗竹が日本に持ち込まれた時期を知りたい。
- 回答
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『竹づくし文化考』「六、国土の保全と竹の文化 1竹の渡来史 モウソウチクの渡来史」に、「この竹が日本に渡ってきた年代については、二説ある。」とあり、「一つは京都府長岡京市の海印寺にある寂照院の院主が、宇治の黄檗山管長が宗教見学に中国にいき、モウソウチクを持ち帰ったのをもらいうけ、一七二八年に同寺の寺領、大見坊に移植したのがはじめといわれる。」とある。「黄檗山万福寺を建てたのは隠元隆【キ】禅師(福建省生まれ、一五九二-一六七二)であり、この寺の建設は寛元元年(一六六一)であるが、それまでに中国からモウソウチクを持ってきているようで、一六〇〇年代にモウソウチクが植えられたと推定される。」とある。
また、二つ目の説については、「元文元年(一七三六)に島津家二十一代の吉貴公が、琉球から二株を持ち帰り移植したといわれる。」と記載されている。
『万葉の花鳥風月 古歌でたどる万葉人のこころ』の「竹」の章に、「中国原産の孟宗竹が日本に渡ってきたのは、京都・宇治にある黄檗宗寺院の僧が中国から持ち帰ったものが各地に広まったという説と、はじめ中国南部から琉球(現在の沖縄)へ渡り、元文元年(一七三六)に島津藩主に献上され、その後各地に広まった説とがあるが、その時代よりもっと古かったのではないだろうか。」と記載されている。
『ものと人間の文化史・竹』の「第一章 竹の生態 (三)竹の原産地 モウソウチク伝来の嘘」に、天保元年(一七三六年)に島津吉貴が琉球からモウソウチクを持ち込んだという説は誤りであるとする根拠が記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 被子植物 (479 9版)
- 参考資料
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上田 弘一郎『竹づくし文化考』京都府 京都新聞社,1986,223p. 参照はp.142-144.
大貫 茂『万葉の花鳥風月 古歌でたどる万葉人のこころ』 淡交社,2006,239p. 参照はp.98.
室井 綽『ものと人間の文化史・竹』 法政大学出版局,1973,311p. 参照はp.21-25.
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上田 弘一郎『竹づくし文化考』京都府 京都新聞社,1986,223p. 参照はp.142-144.
- キーワード
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- モウソウチク 孟宗竹 竹
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2016082613593283382
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000197849