レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年04月10日
- 登録日時
- 2010/06/24 10:05
- 更新日時
- 2021/05/15 14:52
- 管理番号
- 県立I2010-010
- 質問
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解決
「一誠勝百術(いっせいはひゃくじゅつにまさる)」という言葉の出典が知りたい。
こう書かれた色紙がある。
- 回答
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※ 高知県立図書館・高知市民図書館合築に伴い、資料に関する情報が現在の情報とは異なる場合があります。 ※
下記のとおり回答しました。
「一誠勝百術」、「百術勝一誠」どちらも該当のものなし。
「百術不如一誠」という言葉はあるようだが、出典は不明。
- 回答プロセス
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1.名言辞典、墨場必携、成語林、国語大辞典、中国の漢文関係の事典など全てなし。
2.インターネットでもヒットせず。「百術不如一誠」という言葉はヒットし、小沢一郎など
この言葉を信条としている人も多いが、出典は不明とある。
ほぼ同じ意味の言葉として、韓非子に「巧詐不如拙誠」があると紹介している
サイトもあり。
3.小沢一郎に関する本を調査。
『小沢一郎総理(仮)への50の質問』p.014で座右の銘を聞かれ、「百術不如一誠」
と回答している。
『小沢一郎探検』p.160によると、好きな言葉に「百術一誠に如かず」と西郷隆盛の
「敬天愛人」をあげた。「百術一誠に如かず」は、故保利茂元衆議院議長の好んだ
言葉でもある、と書かれているがはっきりとした出典はなし。
4.保利茂の本を調査。
『一誠の道』p.19~「百術は一誠に如かず」を信条としたことについて、調寛雅の
『子どもたちの明日のために』という本に「築地聞真会の朝」という小文を寄せたとある。
その内容について数ページ解説があるが、出典はなし。
p.112~保利は西郷隆盛の『南洲遺訓』を左右の書とし、その中で彼が最も感服し
よく口にしていた言葉に「事大小を無く、正直を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用ふ
可からず」があると書かれている。
5.『子どもたちの明日のために』という本の「築地聞真会の朝」の中に、「百術は
一誠に如かず」の出典がないか、佐賀県立図書館にレファレンスする。
→出典はないとの回答。保利茂氏の息子、保利耕輔氏の事務所に問い合わせた
ところ、『墨場必携』から引用したという返事だったので、『墨場必携』を調査するが
見当たらず。再度詳しい書誌情報を問い合わせ中とのこと。
その後、保利耕輔氏より電話があり、茂氏の『墨場必携』の中には見当たらない
ので、『墨場必携』からの引用というのは勘違いだったとのこと。
「百聞は一見に如かず」から父が作った言葉ではないかともおっしゃっていたが
詳細は不明。
追記
インターネット上では「百術不如一誠」、「百術不如一誠」、「百術不若一誠」、
「百術は一誠に如かず」、「百術は一清に如かず」、「百術ありといえども一清にしかず」
など、色々な表記があり、一誠を一清と書く場合もあるようだ。
なお、「百術は一清に如かず」を、吉田松陰の叔父で師でもあった玉木文之進の言葉
であるとするサイトもあり。
『吉田松陰全集 10』に「玉木正韞先生傳」が収録されており、p394に「夙に橘良基の
風を慕ひ、「百術不如一淸」の印を刻して之を帯び…」とある。
注があり、橘良基は平安時代の国司で左大臣橘諸兄の裔「清廉を以て治世の要道と
となし、清貧に甘んじたので家に少しのたくわえもなく、死んだ時もわずかに在原行平が
贈った絹布葬式をおこなったという」とあるが、「百術不如一淸」が誰の言葉かは書いて
いない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 人生訓.教訓 (159)
- 参考資料
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- 『小沢一郎総理(仮)への50の質問』 おちまさと/質問 小沢一郎/回答 扶桑社 2008年
- 『小沢一郎探検』 朝日新聞政治部/著 朝日新聞社 1991年
- 『一誠の道 保利茂と戦後政治』 岸本 弘一/著 毎日新聞社 1981年
- 『吉田松陰全集』 第10巻 〔吉田 松陰/著〕 山口県教育会/編纂 大和書房 1974年
- キーワード
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- 一誠勝百術
- 百術不如一誠
- 照会先
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- 佐賀県立図書館
- 寄与者
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- 寺本祐記 様
- 備考
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『日本三代実録 巻五十』に「百術不如一淸」の記載があると情報のご提供あり。
「第六子在公 嘗問治國之道 良基荅曰 雖有百術 不如一淸」と記載あり。
《ウェブサイト》 最終アクセス日:2021.05.15
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991094/366
p.717 左から3行目。
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000068373