レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月22日
- 登録日時
- 2012/03/11 13:32
- 更新日時
- 2012/05/31 15:59
- 管理番号
- 埼浦-2011-100
- 質問
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解決
高崎藩主の大河内松平家の「偕寿院」という法名の人物は誰なのか知りたい。大河内松平家の人々は亡くなると平林寺に葬られている。
- 回答
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下記の資料から、「偕寿院」が平林寺に葬られていることや戒名などはわかったが、どのような人物なのか、詳細な記述は見つからなかった。
『平林寺史』
第2章中興編 第2節「中興開基大河内松平氏について」
p129-135「平林寺以外の寺に葬送された裏方子女」
p133「偕寿院松岳妙永大姉 嘉永六年一月廿一日 輝和御休足 右同[小石川是照院]」とあり。
*「偕寿院」は「右京大夫家 高崎藩」の項にあり。
p127「しかしこれら流動的な裏方子女の葬送地も次第に一定の方向が定められ、(中略)信興(信綱男)-輝貞(輝綱男)-輝規(信定男)と相続された右京大夫家は、平林寺末の小石川是照院が整備された後はこれに定まるなど、」とあり、初めは平林寺末の小石川是照院に葬られたことがわかった。
p127 「小石川是照院は平林寺の末寺」との記述あり。
p129「しかし、明治三十六年(一八八三)十月と、昭和二十三年(一九四八)八月に、大檀那の意志によって他寺の石碑供養塔を平林寺に改装して、大河内松平家の浮屠結界を形成して今日に至った。」とあり、「偕寿院」のお墓も平林寺にあることがわかる。
p830「154 卵塔型墓誌」
「墓誌 偕寿院松岳妙永大姉 流光院江州義艇大童子 法林祖香童女」とあり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「大多喜町史」
「三百藩藩主人名事典」
「藩史大事典 東海」
「藩史大事典 関東」
「徳川・松平一族の事典」
「系図纂要 別巻3」
「平成新修旧華族家系大成 上」
「愛知県史」
「千葉県史」
「千葉県史料」
「系図纂要 10巻」
「内閣文庫蔵諸侯年表」
「系図文献資料総覧」
「国書総目録」
「豊橋市史」
「徳川将軍家人物系譜総覧」
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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『平林寺史』(平林寺編 平林寺 1987)
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『平林寺史』(平林寺編 平林寺 1987)
- キーワード
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- 大河内松平家(オオコウチマツダイラケ)
- 偕寿院(カイジュイン)
- 平林寺(ヘイリンジ)
- 高崎藩
- 是照院(ゼショウイン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000103441