レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/07/19
- 登録日時
- 2010/01/08 02:13
- 更新日時
- 2010/01/08 02:13
- 管理番号
- M09072817076638
- 質問
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鏡野町瀬戸のあたり(瀬戸古墳の西側、小座との間あたり)に、「神宿」と呼ばれる地域がある。以前何かの資料で読んだのだが、江戸期には34カ村の神輿が集っていたとのこと。この神宿について、地名の由来等詳しく書かれている資料が見たい。
- 回答
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鏡野町史編集委員会「鏡野町史 民俗編」鏡野町1993 p.422に、「野介庄内三十四カ村の神輿が集まって祭礼を行った地」との記載がある。ただ、それがいつ頃のことかは記されていない。 鏡野町学校教育研修所「鏡野の歴史」鏡野町 1962 p.40~41を見ると、平安~鎌倉時代にかけて既に「野介荘(庄)」が存在していたことがわかるが、当時三十四カ村にわたっていたかどうかは不明である。 鏡野町教育委員会「鏡野町の文化財」鏡野町教育委員会 2003 P.32の瀬戸古墳に関する記述の中で、神宿についての記載もある。出典は寺岡雄平「大野村地名解」1926 となっていた為そちらも確認したが、他資料の記載事項と同じであり、それ以上詳しいことはわからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 鏡野町史編集委員会編『鏡野町史 民俗編』鏡野町,1993,p.422 鏡野町学校教育研修所編「鏡野の歴史」鏡野町,1962,p.40-41 鏡野町教育委員会編「鏡野町の文化財」鏡野町教育委員会,2003,P.32
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2009072817083076638
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000061712