レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/06/20
- 登録日時
- 2015/03/25 00:30
- 更新日時
- 2015/04/30 10:25
- 管理番号
- 6000017043
- 質問
-
未解決
豊中市南西部を流れる中央景観水路の橋で、島田小学校校区にある「宮前橋」と「寸賀尻橋」の名前の由来について知りたい。
- 回答
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郷土資料の書架を探し、また『ゼンリン住宅地図 大阪府豊中市南部 2014』(ゼンリン)で橋の位置を確認する。
宮前橋(みやまえばし)は、名神高速豊中インターチェンジ東にある橋。名前の由来について記載されている資料は発見できなかったが、『嶋田村の今昔物語』(井関三千蔵)p4の地図では、水路の位置などから宮前橋と推察される橋の南西に、稲荷神社跡が示されている。(現在は、庄内神社に合祀)がありその前にあったためと思われる。p12-14の稲荷神社の解説によると、長寛2年(1164)に伏見稲荷から神霊を勧請したが、明治39年(1906)に庄内神社に合祀したとのこと。インターチェンジ内の一般道のわきに稲荷神社の記念碑があると書かれている。
『豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)p118-119「島田稲荷神社旧跡碑」に、上記記念碑の文言あり。
『島田村のあゆみ』(下村弘)p5-6「氏神様」には、稲荷神社についてかつての様子などが簡単に書かれている。
『保存版 豊中・吹田今昔写真帖』(郷土出版社)p61「渡り初めが行われる宮前橋」には、旧嶋田村・宮前橋(現在の庄内栄町1丁目・2丁目境界西端に位置した今在家方面への橋と説明あり)の昭和38年の架け替えを祝う渡り初めの写真あり。平成19年時点では水路が整備され、中央景観水路宮前橋と名前を変えたという解説と写真が載っている。p32「村の青年が一休みする宮前橋付近」には、水路の堤防上に広がる竹林の写った昭和39年の写真あり。
寸賀尻橋(すがしりばし)は、豊中市名神口3丁目と庄内宝町の間、豊中市立島田小学校から名神高速をはさんで西にある橋。この橋に言及している資料は発見できなかった。地図によるとさらに西、中央幹線景観水路が旧猪名川と合流するところに「寸賀尻樋門」があり、関連があると推察されるが、「寸賀尻」の由来は不明。ただし『聞き書き 水とくらし』(豊中市立教育研究所)p51「島田の用水について」に、「寸賀尻のところに扉門があり、大阪湾が高潮になると潮が神崎川から島田の用水路に上がってくるので扉を閉めることもあった。今はコンピュータで判断して自動で開け閉めしている」との記載があり、地名であったかとも思われる。
なお、『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)付録の大字小字図を調べたが、関連しそうな字名はなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 橋梁工学 (515 9版)
- 参考資料
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- 『嶋田村の今昔物語』井関 三千蔵/[著](井関三千蔵)
- 『聞き書き 水とくらし』第2集(豊中市立教育研究所)
- キーワード
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- 豊中市(トヨナカシ)
- 橋(ハシ)
- 中央景観水路(チュウオウケイカンスイロ)
- 島田(シマダ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000169821