レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/12/09
- 登録日時
- 2019/04/17 00:30
- 更新日時
- 2019/04/17 10:56
- 管理番号
- 所沢柳瀬-2018-012
- 質問
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解決
所沢の南永井村の名主、吉田弥右衛門(やえもん)が寛延四年に、息子弥左衛門(やざえもん)を江戸木挽(こびき)町の川内屋八郎兵衛の仲介により、上総国(かずさのくに)へつかわし、さつまいもを買い求めたと言われるが、川内屋の業種を知りたい。また、木挽町の当時の古地図があれば見たい。
- 回答
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吉田弥右衛門と弥左衛門を仲介した河内屋八郎兵衛(かわちやはちろべえ)の業種については、近い年代の資料はあったが、わかりませんでした。
※「川内屋・河内屋:「せんだいや」・「かわちや」の両方のいい方あり。
また、以下の資料に、弥左衛門がつかわされたと言われる寛延四年(1751年)に近い安永四年(1775年)当時の木挽町界隈の絵図の記載がありました。
〇『江戸切絵図集成 第1巻』 斎藤直成/編 中央公論社 1981年
- 回答プロセス
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1. 所蔵資料の内容確認
「さつまいも」「古地図」等をキーワードに所蔵検索。
〇『江戸切絵図集成 第1巻』 斎藤直成/編 中央公論社 1981年
p.78 「筑地八町堀日本橋南之絵図Ⅲ」(安永四年刊)に木挽町界隈の絵図の記載あり。
△『所沢市史 近世史料Ⅱ』 所沢市史編纂委員会/編 1983年
p.233 「さつまいも作り初め之事」(「吉田家文書」)の項目に以下の記載あり。
「家内にてさつまいも作り初めたのハ寛延四年二月廿八日江戸木挽町(註:東京都中央区)川内屋八郎兵衛殿世話にて御公儀様願ひ廿八日御渡し相成、此時うやくと申薬の木を貰ひ九日めて内へ帰り御禮や小つかいにて壹分貳朱相かゝり候 寛延四年未 三月吉日 弥右衛門」
△『サツマイモと日本人』 伊藤章冶/著 PHP研究所 2010年
p.193-194 「痩せた土地にサツマイモ」の項目に以下の記載あり。
「サツマイモを南永井村でもつくろうと考えた弥右衛門は、あらゆる伝手(つて)をたどって、サツマイモの栽培方法を教えてくれる人を探す。そんな折、江戸の木挽町の商人で川内屋八郎兵衛という人物が、「それなら上総の国、市原郡志井津村(現・千葉県市原市)の長十郎さんを訪ねるといい」と教えてくれた。」
△『人づくり風土記 11』 農山漁村文化協会 1995年
p.90-91 「特産品として広まった、さつまいもの栽培」の項目に以下の記載あり。
「入間郡南永井村(所沢市)の名主吉田弥右衛門とその子孫が書き残した書「弥右衛門覚書」に、入間地方へのさつまいも導入の記事があります。それによると、さつまいもは、享保六年に薩摩国から将軍へ献上されており、寛延四年(宝暦元年、一七五一)二月二十八日に、弥右衛門は当時二十六歳の息子弥左衛門を、江戸木挽町川内屋八郎兵衛(せんだいやはちろべえ)の仲介により、上総国志井津新田(千葉県市原市)の長十郎方へつかわし、さつまいも二百を五百文で買い求め、九日間を要して南永井村へ帰ったとあります。」
p.360 「川越いも」の項目に以下の記載あり。
「川越地方では、寛延四年(一七五一)二月、柳瀬村南永井(所沢市)の名主吉田弥右衛門が、江戸木挽町河内屋八郎兵衛(かわちやはちろべえ)の口利きで、上総国志井津村(千葉県市原市)の長十郎という人から、さつまいもの種苗を買いとり、その試作に成功したのが始まりです。」
△『埼玉ふるさと散歩 所沢市』 斎藤脩冶/著 さきたま出版社 1993年
p.137 「さつま芋の始作地、南永井」の項目に以下の記載あり。
「寛延四年(一七五一)二月二十八日に、幕府の許可を得て、江戸木挽町の川地屋(かわちや)八郎兵衛の世話で、上総国(千葉県)志井津村(市原市)の長十郎の家に弥右衛門の子弥左衛門が行き、さつま芋の種芋二百個を銭五百文で買い九日目に帰って来た。」
△『紅赤の100年』 紅赤百年記念誌編集委員会/編 川越いも友の会 1997年
p.32 「さつまいもの始作地と吉田弥右衛門」(児童文学作家 青木雅子)の項目に以下の記載あり。
「また、吉田家に伝わる古文書の覚書には、「さつまいも作り初めのこと」として寛延四年(1751)二月廿八日に、江戸木挽町の川内屋八郎兵衛殿の世話で、幕府の役所にお願いし上総国志井津村(千葉県市原市)の長十郎殿の所へ弥右衛門(弥左衛門?)をやり、さつまいもの種いも二百を五百文で買い、お礼や小遣いで一分二朱かかった。」
△『所沢の文化財と風土』 内野弘/著 斉藤脩治/著 栗原仲道/著 小沢和一/著 所沢市教育委員会 1977年
p.202-203 「甘藷」の項目に以下の記載あり。
「さつまいもを作り始めたのは、寛延四年二月二十八日(一七五一年)江戸木挽町の川内屋八郎兵衛さんの世話で、上総国志井津村の長十郎さんの家へ弥左衛門が行き、さつまいも二百を五百文で買って九日目に帰ってきました。」
△『所沢市史 民俗』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1989年
p.75 「さつま芋の栽培」の項目に以下の記載あり。
「寛延四年(一七五一)二月二八日、江戸木挽町の川内屋八郎兵衛さんの世話で、上総国志井津村の長十郎さんの所へ弥左衛門が行き、さつまいも二百を五百文で買い受け、お礼や小遣いで一分二朱かかった。」
△『所沢市史 上』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1991年
p.683 「さつまいもの栽培」の項目に以下の記載あり。
「すなわち、寛延四年(=宝暦元年、一七五一)二月二十八日、南永井村名主吉田弥右衛門は、子供の弥左衛門(当時二六歳)を、江戸木挽町川内屋八郎兵衛の仲介により、上総国志井津村(千葉県市原市姉ヶ崎の一部)の長十郎方へ派遣し、さつまいも二〇〇を五〇〇文で買い求め、九日間を要して南永井村の家へ帰宅した。」
△『所沢市史 文化財・植物』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1985年
p.143 「弥右衛門覚書」の項目に以下の記載あり。
「寛延4年(この年、改元があり宝暦元年、1751)2月28日、南永井村名主吉田弥右衛門は、子供の弥左衛門(当時26歳)を、江戸木挽町川内屋八郎兵衛の仲介により、上総国志井津村(現在千葉県市原市姉ヶ崎の一部である椎津台と推定される)の長十郎方へ派遣し、さつまいも200を500文で買い求め、九日間を要して南永井村の家に帰宅した。」
2. 埼玉県立熊谷図書館への問い合わせ
埼玉県立熊谷図書館所蔵資料『江戸商家・商人名データ総覧』(田中康雄/編 柊風舎 2010年)に、「川内屋(せんだいや・かわちや)」または「河内屋(かわちや)」の情報が掲載されているか確認した。
△『江戸商家・商人名データ総覧 第3巻』 田中康雄/編 柊風舎 2010年 P329~330 河内屋八郎兵衛(かわちやはちろべえ)の住所・業種・年次が、出典ごとに記載あり。
①「河内屋八郎兵衛 木挽町弐丁目家主 炭薪問屋 拾八番組 延享4.12」
②「河内屋八郎兵衛 同所六本木町(麻布)家持 三組両替屋 嘉永4.3」
③「河内屋八郎兵衛 同所六本木町(麻布)家持 三組両替屋 世利組 (業務)質 嘉永7.8」
④「河内屋八郎兵衛 同所六本木町(麻布)家持 三組両替屋 世利組 (業務)質 安政4.5」
八郎兵衛の仲介により吉田弥右衛門・弥左衛門がさつまいもを買い求めたと言われるのが、寛延四年(1751年)。
上記の4項目のうち年代が近いのがあるが、業種はわかりませんでした。
3. 記載のなかった資料
×『さつまいも』 坂井健吉/著 法政大学出版局 1999年
×『その時歴史が動いた 9』 NHK取材班/編 KTC中央出版 2001年
×『川越の文化財 第73号~第93号』 川越市文化財保護協会/編 川越市文化財保護協会 2007年
×『江戸町人の研究 第3巻』 西山松之助/編 吉川弘文館 1976年
×『江戸東京切絵図散歩』 山川出版社 2010年
×『復元・江戸情報地図』 吉原健一郎/[ほか]編集・制作 朝日新聞社 1994年
×『江戸切絵図散策』 新人物往来社 2002年
×『江戸切絵図と東京名所絵』 白石つとむ/編 小学館 2002年
×『大江戸今昔マップ』 かみゆ歴史編集部/著 KADOKAWA 2014年
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 商業史.事情 (672 9版)
- 参考資料
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- 江戸切絵図集成 第1巻 斎藤直成/編 中央公論社 1981.8 291.36
- 『江戸商家・商人名データ総覧』第3巻 田中康雄/編 柊風舎 2010年(埼玉県立熊谷図書館所蔵)
- キーワード
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- さつまいも
- サツマイモ
- 古地図
- 江戸
- 商人
- 商家
- 吉田弥右衛門
- 吉田弥左衛門
- 木挽町
- 川内屋
- 河内屋
- 照会先
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- 埼玉県立熊谷図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000255060