レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/11/24
- 登録日時
- 2019/09/21 00:30
- 更新日時
- 2019/09/21 00:30
- 管理番号
- DR20181000370
- 質問
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解決
三里塚記念公園内にある防空壕では、昭和35(1960)年頃までは、内部で子どもたちが遊んでいたと聞いた。また、戦後すぐの頃には、野菜や芋の貯蔵庫に使っていたとも聞いた。これらのことについて書かれた資料はあるか。
- 回答
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『三里塚記念公園防空壕』成田市都市部公園緑地課に、「三里塚記念公園防空壕についての経緯」という項目がある。この中で、昭和44(1969)年の三里塚記念公園開園について書かれた箇所に「この当時の防空壕は、自由に出入りができたようで、子どもの頃、内部で遊んだという人もいます」という証言が記されている。朝日新聞平成20(2008)年10月23日朝刊千葉地方面の「三里塚記念公園で防空壕調査開始」の記事内に、「戦後は[三里塚御料]牧場でとれたサツマイモやジャガイモの貯蔵庫に使われていたらしい。」と書かれている。読売新聞平成23(2011)年6月20日朝刊京葉面の「防空壕の一般公開」の記事内に、地元の人の証言で「終戦後間もない時期に主室に畳が敷いてあったり、ジャガイモが備蓄されていたりしたのを見た人がいた」と書かれている。『成田国際空港 写真集』小関与四郎、p.77-p.79の「迎賓館の裏側に防空壕があった」に、防空壕の写真が3枚ある。そのうちのp.79の写真の防空壕内部の壁に、子どもの落書きと思われるものがかすかに残っていることが確認できる。
- 回答プロセス
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当館の蔵書検索で、三里塚記念公園に関する資料を検索した。新聞記事データベースで三里塚記念公園の防空壕についての記事を検索した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『三里塚記念公園防空壕』 成田市都市部公園緑地課 2011 213.5
- 『成田国際空港 写真集 』 小関与四郎 木耳社 1982
- キーワード
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- 防空壕
- 三里塚記念公園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 地域(成田)
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000261662