レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年08月15日
- 登録日時
- 2016/01/27 14:47
- 更新日時
- 2016/05/10 16:24
- 管理番号
- 埼熊-2015-147
- 質問
-
未解決
「埼玉群馬両県奇譚」(伊藤道斎著)がみたい。著者は明治34年没。
- 回答
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埼玉県立図書館所蔵資料では確認できなかった。
- 回答プロセス
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《Google》(https://www.google.co.jp/ Google)を〈埼玉群馬両県奇譚〉で検索する。
個人ブログから、羽生領に住む医師・郷土史家の伊藤道斎が『埼玉群馬両県奇譚』の中で木戸忠朝の供養碑について触れているとの情報を得る。
《Googleブックス》を〈伊藤道斎〉で検索する。(http://books.google.co.jp/ Google)
「羽生市史 1」(http://books.google.co.jp/books?id=1k9oAAAAIAAJ&q=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%81%93%E6%96%8E&dq=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%81%93%E6%96%8E&hl=ja&sa=X&ei=uQfiU4GvD87m8AX7xICoDA&ved=0CCIQ6AEwAQ Google)
p138、645 伊藤道斎の名あり。
『埼玉史談 13』(埼玉県郷土文化会編 国書刊行会 1973)付録「埼玉史談総合目次」を確認する。
第6巻3号(昭和10年1月)に「道斎伊藤文仲先生の「謾聴謾録」」p194[-196]
当該記事中に「当主は元羽生町長伊藤恒氏で、先代の厳父は(略)医師の弘道氏、其の先代所謂祖父の文仲氏も又医師であり、更にその先代の曽祖父玄碩氏も医師で歴代仁術の家柄である。(改行)文仲先生は文政九年七月二十五日玄碩先生の長男として生れ、明治三十五年十月四日、七十六歳を以って卒せられた。字を恒と称し、號を道斎といった。」とあり。
「埼玉群馬両県奇譚」の記述はなし。
『埼玉名家著述目録』(渡辺刀水編 埼玉県立浦和図書館 1971)
p7「伊藤道斎」の項に著作として「漫録」「隋聴漫録」(=謾聴謾録か)「亡友傳」の3著作。『埼玉群馬両県奇譚』の記述なし。
羽生市史関係を確認する。
『羽生市史 上』(羽生市史編集委員会編 羽生市 1971)
p707「編集後記」に、「羽生地方の郷土史料といえば、(略)近くは伊藤文仲の著した「謾聴謾録」(略)」とあり。
『羽生城 上杉謙信の属城』(冨田勝治著 第一法規出版 1992)
p132-133「埼玉群馬両県奇譚」の引用あり。
p137に表にも書名の表記などがあるが、そこでは、書名:「埼玉群馬両県奇談と伝説」とし、「伝説」がついている。また、書の成立年代を「明治中頃1890」としている。
ウェブサイトの最終アクセス日は2014年8月6日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 埼玉群馬両県奇譚
- 伊藤 道斎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物 言葉
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000187575