レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年5月15日
- 登録日時
- 2010/10/30 13:04
- 更新日時
- 2010/11/14 13:13
- 管理番号
- 9000006435
- 質問
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解決
山梨県内における十三仏信仰について書かれている資料があるか。
- 回答
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江戸時代の十三仏の石仏は、山梨県内の盆地東部に集中する傾向があり、甲州市塩山には、延命院や下柚木(しもゆのき)姥石など4基の石仏がある。また富士川町の増穂平林にも十三仏碑がある。県内の念仏講では十三仏掛軸、十三仏和讃などがみられ、葬儀の際の十三仏も甲州市塩山ほか県内に点々と知られている。詳細については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.自館システムで「十三仏」×郷土資料で検索するが未ヒット。
2.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)を見るが掲載なし。
3.『日本の神仏の辞典』(大島建彦ほか編 大修館書店 2001年)で「十三仏」をひくと「死者の追善供養のために配された十三の仏や菩薩」などの解説があり、日本では民間信仰を取り入れて室町時代に成立したものであることなどがわかるが、山梨県についての記述はなし。
4.NDL-OPAC(http://opac.ndl.go.jp/index.html )の雑誌記事検索索引で「十三仏×山梨」で検索すると、「山梨県立図書館考古博物館・山梨埋蔵文化財センター研究紀要」通巻19号(山梨県立考古博物館)掲載の論文「山梨県の中世石仏-塩山市延命院の十三仏」がヒット。内容を確認すると、塩山市延命院の十三仏それぞれについての調査結果のほか、p202の上段には県内の十三仏信仰(石仏、念仏講、葬儀等)についての記述がある。
5.塩山市(現在の甲州市)の石仏について調査すると、『塩山市の石造美術』(菊島常雄編 塩山市文化協会 1983年)p50に延命院の十三仏(石仏)、p51に下柚木姥石の十三仏(石仏)の掲載がある。p17には解説があり、増穂町(現在の富士川町)にも十三仏碑があることがわかる。
6.『甲斐路ふるさとの石造物(ふるさと自慢シリーズ)』(山梨県編 山梨日日新聞社 1990年)を見ると、「延命院の十三仏」(p42-43)「平林の十三仏」(p87)に、それぞれ写真と解説が掲載。『甲斐の石造美術(甲斐新書)』(植松又次著 山梨郷土研究会 1978年)を見ると、p104に「平林十三仏碑(卒塔婆)」の項があり、白黒写真と解説がある。
7.『山梨県史 民俗編』(山梨県編集 山梨日日新聞社 2003年)の第3章「ムラ」第6節「講」を見ていくと、p219に「念仏講」として「昭和五十四年(一九七九)ころまで山梨市後屋敷地区では、…(中略)…葬家に集まり念仏昭唱和を行った。音頭は最年長の婦人がとり十三仏の名を連ね…」とある。また、第4章「一章」第5節「死と他界」を見ていくと、p708に「念仏と念仏講」として「道志村では、各地区に女性の念仏講があり…(中略)…南無阿弥陀仏から始まり、十三仏、親念仏などの経を唱える」と十三仏信仰に関する記述がある。
9.次の資料には関連する記述は見られなかった。
・『甲州街道石仏紀行(のんぶる舎らいぶらり〜)』(瀬沼和重著 のんぶる舎 1992年)
・『塩山市の文化財』(塩山市教育委員会編・発行 1978年)
・『山梨県史 文化財編』(山梨県編集 山梨日日新聞社 1999年)
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏会 (186 9版)
- 参考資料
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- 「山梨県立図書館考古博物館・山梨埋蔵文化財センター研究紀要」通巻19号(山梨県立考古博物館) (p218-201)
- 『塩山市の石造美術』(菊島常雄編 塩山市文化協会 1983年) (p17,p50-51)
- 『甲斐路ふるさとの石造物(ふるさと自慢シリーズ)』(山梨県編 山梨日日新聞社 1990年) (p42-43,p87)
- 『甲斐の石造美術(甲斐新書)』(植松又次著 山梨郷土研究会 1978年) (p104-106)
- 『山梨県史 民俗編』(山梨県編集 山梨日日新聞社 2003年) (p219-708)
- キーワード
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- 十三仏
- 仏教
- 民間信仰
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(思想・宗教)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000073058