小野清の著作のうち、大阪府立中央図書館の所蔵する『徳川制度史料』(小野清/著 六合館 1927.11)の平山成信による序文に「小野翁は仙台藩士にして齢已に八十有余(後略)」と経歴の記述が若干あります。つづく阪本釤之助の「序」にも、大阪衛生試験場の移転や大阪市でコレラが流行したの際の顛末等、小野の業績に関する記述がありました。
元仙台藩士ということでしたので、以下の資料を見ましたが、小野清の名前はありませんでした。
『仙台藩人物叢誌』(宮城県庁 1908.9)
『仙台人物史』(『仙台叢書』(仙台叢書刊行会 1923.3)所収)
『幕末維新大人名事典 上』(安岡昭男/編 新人物往来社 2010.5)
『幕末維新人名事典』(宮崎一三八・安岡昭男/編 新人物往来社 1994.2)
『三百藩家臣人名事典1』(家臣人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1987.12)
『宮城県百科事典』(河北新報社/編 1982.4)
『明治維新人名辞典』(日本歴史学会/編 吉川弘文館 1981.9)
また、内務省に勤務されていたということで、当館の所蔵するもっとも古い『職員録 明治37年5月1日現在甲』(大蔵省印刷局 1904)の内務省の部分を見ましたが、小野清の名前はありませんでした。
なお、復刻版『大坂城誌』の小野雄三氏による「あとがき」にある「没年を明治7年」は「昭和7年」の誤植です。
国立国会図書館の目録では著者の生没年は1846-1932と記載されています(江戸/弘化3年ー昭和7年)。
『国立国会図書館著者名典拠録 下巻 明治以降日本人名 N-Z』(国立国会図書館収集整理部/編 紀伊国屋書店 1979.4)によれば、「幼名:勝次郎 通称:伊右衛門 字:子粛、静粛」です(1896頁)。
伝記や経歴ではありませんが、Webcatplusという本を検索できるサイトで「小野清」で検索したところ、『福沢諭吉書簡集』という本に小野に関係する記載があることがわかりました。第9巻の索引を見たところ、『同 第4巻』(慶應義塾/編 岩波書店 2001.3)に
301頁(明治13年1月8日 福沢発小野宛 封筒表「大阪試薬場 小野清様 福沢諭吉」)
大阪に赴任した加藤正之助を紹介する手紙(加藤は万延元年(1860)埼玉の農家に生まれる。明治8年に慶応に入塾。第1次『民間雑誌』の編集長を務めた人文です(204頁))。
308-309頁(明治13年1月22日 福沢発小野宛 封筒表「大阪試薬場ニテ 小野清殿 平安貴酬」)
年頭の祝詞に応え、大阪城の図面入手の情報に対して礼を述べた手紙。
346-347頁(明治13年4月12日 福沢発小野宛 封筒表「大阪司薬場 小野清殿行」)
多忙により返事と返礼が遅れたことを詫びた手紙。
の3点の手紙が記載されていました。
以下、大阪府立中之島図書館 大阪資料・古典籍室
『大坂城誌』復刻版に大阪衛生試験所に勤務されていたと記載がありましたので、大阪衛生試験所関係の資料を探してみましたが当館には当該資料はありませんでした。
「人事興信録」「日本紳士録」の明治・大正のものを見ましたが記載はありませんでした。