レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年01月26日
- 登録日時
- 2012/05/22 12:23
- 更新日時
- 2012/05/22 14:41
- 管理番号
- 9000007916
- 質問
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解決
古代インドのアショーカ王が建てた84,000基の舎利塔信仰が日本にどのように伝わったか知りたい。
- 回答
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『日本仏教史辞典』(今泉淑夫編 吉川弘文館 1999年)によると、アショーカ王が八大塔のうち七つを集めて細分し、84,000の(塔)ストゥーパに納め、これよって仏教は広くインド各地に伝播。仏舎利とその信仰は、中国・朝鮮を経て日本にも伝来した。詳細については照会資料をご確認下さい。
- 回答プロセス
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1.仏教事典類を調査。
・『総合佛教大辞典』(総合佛教大辞典編集委員会編集 法藏館 2005年)[資料番号0105010854]→p1「阿育王」の項に「磨崖・石柱の詔勅発布、寺塔の建立、法大官の設置、伝道師の派遣など仏教に関する事跡は多い」とある。続く項目を確認すると「阿育王経」「阿育王寺」「阿育王塔」「阿育王法勅」がある。「阿育王塔」の項には「阿育王(アショーカ)の建立したという八万四千の塔」とあるが「実際に八万四千の塔が建立されたかどうかは疑わしい」ともある。また、造塔の記事は「雑阿含経」巻22、「阿育王伝」巻1、ディヴヤ・アヴァダーナ、「大唐西域記」巻8が挙げられている。p612「舎利」の項にも「…阿育王は八万四千の宝塔を建てたと伝え…」とある。
・『日本仏教史辞典』(今泉淑夫編 吉川弘文館 1999年)→p893「仏舎利」の項に、アショーカ王が八大塔のうち七つを集めて細分し、84,000の(塔)ストゥーパに納めたといい、これよって仏教は広くインド各地に伝播。仏舎利とその信仰は、中国・朝鮮を経て日本にも伝来した旨記述がある。
2.自館システムで件名「仏塔」で検索し、次の図書を確認。
・『日本の仏舎利塔』(光地英学著 吉川弘文館 1986年)→p1-30に「仏舎利及び仏舎利塔」があり、p13-14にアショーカ王の八万四千塔に関する記述がある。
・『日本塔総鑑』(中西亨著 同朋舎 1978年)→p16「仏塔の東遷:インドから日本へ」の項に「(仏塔・ストゥーパ) その第一塔はアソカ大帝によって社会の聖骨を再分配して各地に建てた仏塔の一つとされているものだが…」として、仏教の弘布とともに各地に伝えられた旨記述がある。※本書は木造塔を取り扱っている。
3.アショーカ王の伝記を確認。
・『アショーカ王伝(法蔵選書)』(定方晟著 法蔵館 1982年)[資料番号0100939800]→→p4「アショーカ(阿育王)に対する敬意の心は中国、日本にまで存在した。…(中略)…日本では『元亨釈書』が近江の石塔寺をアショーカ王の八万四千の塔の一つと記している」とある。p42-52が「八万四千の塔」の項。また巻末の解説のp194-195にも八万四千の塔についての記述がある。
4.MAGAZINE PLUSで「阿育王塔」「八万四千塔」のキーワードで検索し、所蔵資料を確認。
・「歴史手帖:阿育王塔伝播の一例」(中山薫著)※「日本歴史」通巻679号収載(2004年12月)に、阿育王塔の伝播として記されているのは次の通り。
*石塔寺(滋賀県):『源平盛衰記』ではアショーカ王が作った石塔の一基であるとされているが、実際は、奈良時代前半に百済から移り住んだ帰化人によって建てられた寺の石塔であろう。
*捧澤寺(岡山県):石塔寺の阿育王塔を模して江戸時代に建てられた石像の阿育王塔
*法然院(京都市)、九品院(岡崎市 明治4年4月の銘あり)、阿弥陀寺(箱根町)
・「鎌倉将軍の八万四千塔供養と育王山信仰」(西山美香著)※「金沢文庫研究」通巻316号収載(2006年3月)
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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- 『日本仏教史辞典』(今泉淑夫編 吉川弘文館 1999年) (p893)
- 『日本の仏舎利塔』(光地英学著 吉川弘文館 1986年) (p1-14)
- 『日本塔総鑑』(中西亨著 同朋舎 1978年) (p16)
- 「日本歴史」通巻679号(2004年12月) (p36-38)
- 「金沢文庫研究」通巻316号(2006年3月) (p10-25)
- キーワード
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- アショーカ
- 阿育王塔
- 仏舎利塔
- 仏塔
- 仏教
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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*『源平盛衰記』『元亨釈書』に阿育王塔の1基であると書かれている滋賀県の石塔寺(いしどうじ)の三重塔の写真、解説の掲載のある図書は次のものがある。
・『石造美術入門:歴史と入門(川勝政太郎著 社会思想社 1969年)[資料番号0100703826]p92-93
・『滋賀県の歴史散歩(歴史散歩)』下巻(滋賀県歴史散歩編集委員会編 山川出版社 2008年)[資料番号0105312623]p80-81
・『図説近江古寺紀行』(木村至宏著 河出書房新社 1995年)[資料番号0103011490]p104-105
*その他、アショーカ王に関する参考資料
・『大正新脩大蔵経』第2巻 阿含部(大正新脩大蔵経刊行会 1969年)[資料番号0100207018]p153-161「雑阿含雑経」巻22
・『大正新脩大蔵経』第50巻 史伝部(大正新脩大蔵経刊行会 1960年)[資料番号0100207497]p99-131「阿育王伝」、p131-170「阿育王経」
・『大唐西域記(東洋文庫)』第3巻(玄奘著 平凡社 1999年)[資料番号0103754586]→p26-29「阿輸迦王の牢獄」、p30-32「八万四千塔」、p34「阿育王石柱刻文残欠」
・『鷗外全集』第4巻(森林太郎著 岩波書店 1972年)[資料番号0100848795]p199-344「阿育王事蹟」(p265-269に「陸 建塔」の項)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 仏教
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000106377