レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/08/26
- 登録日時
- 2016/11/17 00:30
- 更新日時
- 2017/02/01 14:31
- 管理番号
- 北方 16-0019
- 質問
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解決
明治時代、アイヌが和人名を名乗るようになったと思うが、根拠となる法令と施行年を知りたい。
- 回答
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明治期のアイヌ人の和人名化について、以下の資料に記述あり。
回答資料1
「アイヌ民俗の『日本国民』への編入という問題は、(中略)名実共に具現化されたのは、一八七一(明治四)四月四日公布の戸籍法(翌二月一日実施)によって、新たに『平民』として戸籍に登録する過程においてであった。」
「北海道において和人の戸籍が完成するのは一八七三年(明治六)年、アイヌの戸籍が完成するのは一八七五年~七六(明治八~九)年頃とされている」
「第二は、創氏の強制である。すなわち根室支庁は、一八七六(明治九)年七月一九日、「旧土人、是迄姓氏用ス者コレ有候処、自迄一般姓氏相用フヘシ」(同前)と達し、次いで翌八月には、「旧土人姓氏ハ成ヘク普通ノ邦言ヲ称」(同前)するように厳達し、戸籍への登録に際し、創氏し、しかも和人風の姓氏を名乗るように強要していることである。これは根室支庁の例であるが、他の支庁にあっても同じであったものと見られる。」
「壬申戸籍への登録の際、アイヌ民族が創氏を強制された」「アイヌ民族の戸籍への登録による「日本国民」への編入過程で、創氏に加え改名もまたより積極的に進められていった」
回答資料2(※以下の文章中、「土人」とあるのは、資料本文中の表記のまま。)
「開拓使はこれを近代国家の一成員たらしめんとし、明治四年四月戸籍法公布・戸籍調査の際、土人は平民に編入すべき旨を全道に布達」
「『開拓使事業報告』に、根室支庁では、明治九年七月土人に姓氏を称えさせる旨あるから、土人の戸籍の完成は一般よりすこし後れて明治八、九年のことであった。」
「なお、明治九年七月旧土人一般に姓氏を用うべきを達し」(明治九年七月十九日根室支庁第四十八号布達)
『開拓使事業報告附録布令類聚 上編』(大蔵省∥編 大蔵省 1885 p479 請求記号:317/O/1)
;明治九年七月十九日根室支庁第四十八号布達
「舊土人是迄姓氏不用者有之候處自今一般姓氏相用フヘシ」と布達。
回答資料3
「さらに、明治政府は、明治九年、アイヌに対してその名を日本風に改めるよう強制したのである。」
回答資料4
「一八七一年(明治四年)、戸籍法が公布された。(中略)そして身分は平民籍に編入され、苗字が使用されたことで他の一般平民と同様の扱いになった。これに伴い、和人式の姓名を強制されたが、その付け方は管轄の役所で原則が異なった。」
回答資料5
「明治4(1871)年に戸籍法が公布されてアイヌも平民となることになったが、(中略)北海道では和人の戸籍完成より数年遅れて、アイヌの戸籍は明治8~9年ころ完成したとされる。元来、個人名しかなかったアイヌの人びとは、和人風の姓を創られ、改名させられた。」
- 回答プロセス
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以下の資料も参照をおすすめする。
『開拓使事業報告附録布令類聚 上編』(大蔵省∥編 大蔵省 1885 p479 請求記号:317/O/1)
『明治期アイヌ民族政策論』(山川 力∥著 未来社 1996.12 請求記号:ア.31/ME)
『アイヌ民族史の研究』(児島 恭子∥著 吉川弘文館 2003.2 請求記号:ア.2/A p285)
- 事前調査事項
- NDC
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- 行政 (317 7版)
- 参考資料
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- 1 アイヌ民族の歴史 榎森 進∥著 草風館 2007.3 ア.2/A/イ p388-391
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2 アイヌ政策史 高倉新一郎∥著 三一書房 1972 ア.31/TA p392、398 -
3 アイヌ民族と天皇制国家 新谷行∥著 三一書房 1977.12 ア.31/SH p342 -
4 アイヌ近現代史読本 小笠原 信之∥著 緑風出版 2001.7 ア.31/A p39-40 -
5 千島・樺太・北海道アイヌのくらし アイヌ文化振興・研究推進機構?編集 アイヌ文化振興・研究推進機構 2011.7 ア.0/C p122 -
1 開拓使事業報告附録布令類聚 上編 大蔵省∥編 大蔵省 1885 317/O/1 p479 -
2 明治期アイヌ民族政策論 山川 力∥著 未来社 1996.12 ア.31/ME -
3 アイヌ民族史の研究 児島 恭子∥著 吉川弘文館 2003.2 ア.2/A p285
- キーワード
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- アイヌ
- 和人名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000199779