両方とも江戸時代末の、飛騨の材木を河川を利用して運搬するもようを描いたのもので、成立過程にも深い関連があるが、別の資料である。
1 『運材図会』(官材図会)は、文は富田礼彦、絵は松村梅宰(寛一)による。嘉永7年(1854)に成立、大正6年(1917)に高山町の住伊書店から刊行された(以上は1970年版『運材図会』の解説による)。当館で所蔵しているのは大正6年のものと、それを昭和45年(1970)に岐阜県郷土資料刊行会が復刻・縮刷したもの。
2 『木曽式伐木運材図会』は、文の著者は同じく富田礼彦とされているが、絵は不明(※ 追記参照)。『運材図会』にはない下麻生湊より先の様子も含まれている。正確な成立年代は不明だが、安政3~4年(1856~1857)と推測されている(以上は『木曽式伐木運材図会』の解題、あとがきによる)。原本は長野営林局(現中部森林管理局)蔵。当館で所蔵しているのは昭和29年(1954)に長野営林局が刊行したものと、昭和50年(1975)に林野弘済会長野支部が刊行したもの。
(2016年9月追記)
『運材図会』の元になった類書とされる『官材画譜』(土屋秀世文、松村梅宰画、弘化2年(1845)または嘉永5年(1852)に成立)については、平成4年(1992)に田口忠夫が編集・刊行した『官材画譜草稿』を所蔵している。同資料の解題によると、『木曽式伐木運材図会』は『官材画譜』と同系統の模本で、文も富田礼彦ではなく土屋秀世のものとされている。
<参考資料>
・「「木曽式伐木運材図絵」をめぐって」(井上日呂登著 『森林技術』862号(2014.1)p.24~27)
・「『官材画譜』と『運材図会』」(大野政雄著 『岐阜史学』84号(1991)p.31~38)