レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年3月8日
- 登録日時
- 2019/03/13 12:00
- 更新日時
- 2019/07/25 12:22
- 管理番号
- 2018-55
- 質問
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解決
幕末時代の海上交通について。松山(三津浜)から讃岐へ海路を移動した場合、所要時間(日数)、航路、またどのような船か。他に金毘羅参詣のための船はなかったか知りたい。
- 回答
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【資料1】p13“金毘羅参りの旅”
以下の資料の紹介がある。
A 文久2年(1862)吉田藩の町医者、岡太仲の参拝記「讃州金毘羅宮御参詣」の日程とコ-ス等の略記。帰路は一部船を利用している
B 文久3年(1863)喜多郡菅田村(大洲市)の庄屋有友氏の金毘羅参詣の道中日記の日程
C 文化9年(1812)浮穴郡中田渡村(小田町、現久万高原町)の菅原氏(出発日・帰着日のみ)
D 文化11年(1814)伊予郡上野村(伊予市)の玉井氏(出発日・帰着日のみ)
E 寛政7年(1795)讃岐街道を利用した小林一茶の足跡
F 元治元年(1864)松山藩士内藤鳴雪が讃岐道を旅した『鳴雪自叙伝』
【資料2】【資料1】のAに紹介されている「岡太仲旅中手控」の翻刻版。p106-126“讃州金毘羅街道”
【資料3】上記の【資料1】CDで紹介されている浮穴郡中田渡村菅原某と玉井三右衛門忠友の『讃岐道中記』は下記URLで閲覧可能。
http://i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/63/view/7909?keyword=%E6%B5%AE%E7%A9%B4%E9%83%A1%E4%B8%AD%E7%94%B0%E6%B8%A1%E6%9D%91+%E8%8F%85%E5%8E%
【資料4】【資料1】のFで紹介されている松山藩士内藤鳴雪の記録である。下記URLで確認できる。
http://i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/45/view/5834?keyword=%E9%87%91%E6%AF%94%E7%BE%85%E8%A9%A3
また、『鳴雪自叙伝』復刻版も所蔵しており、貸出可。
【資料5】p1-9 金毘羅参詣の道(川之江→琴平)安岡芳朗著。 貸出不可。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 海運 (683)
- 神社.神職 (175)
- 参考資料
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- 【資料1】『讃岐街道』 (愛媛県歴史の道調査報告書 第3集 愛媛県教育委員会 1996 <当館請求記号:K290-108-3>
- 【資料2】『伊予吉田旧記 第1輯 岡太仲旅中手控』 (吉田郷土史料研究会/企画・編集 佐川印刷 1982 <当館請求記号:K290-108-3>
- 【資料3】『愛媛県史 近世 下』 1987 <当館請求記号:K200-31>
- 【資料4】『愛媛県史 社会経済3 商工』 1986 <当館請求記号:K200-31>
- 【資料5】『文化時報 通巻第283号(平成8年陽春号)』 川之江文化協会 <当館請求記号:K211-3>
- キーワード
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- 海上交通
- 金毘羅参詣
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000252940