藤村操(ふじむらみさお 明治19年生 明治36年没)は、第一高等学校に在籍中、日光華厳の滝で投身自殺をした青年です。投身現場近くのナラの木に辞世の文「巌頭の感」を残しました。
(参考:『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995))
明治36年5月26日前後の下野新聞(栃木県の地方紙)は未所蔵であるため、記事を確認できませんでした。
他紙の記事の状況や、記事に関する関連情報は次のとおりです。
1 他紙の記事について
明治期の新聞記事検索に有効な資料を用いて、藤村操に関する記事を確認しました。
・『明治ニュース事典 7.明治36年‐明治40年』(明治ニュース事典編纂委員会/編 毎日コミュニケーションズ 1986)
明治期に発行された新聞から、おもなニュースをほぼ原文のまま年月日順に掲載している資料です。
p.674-675「藤村操」の項に掲載されている記事名および新聞名は以下のとおりです。
・「「巌頭の感」を残し華厳の滝で自殺」〔明治36年5月27日 報知〕
・「少年哲学者を弔す――黒岩涙香」〔明治36年5月27日 万朝報〕
・「藤村の挙をまね、華厳の滝入水が流行」〔明治36年7月4日 東京日日〕
・「投身死体が浮かび上がる」〔明治36年7月5日 読売〕
・「自殺の真相菊池文相の令嬢に失恋」〔明治36年7月9日 東奥日報〕
・『新聞集成 明治編年史 第12巻 日露戦争期(自明治36年~至明治38年)』(明治編年史編纂会/編 財政経済学会 1935)
明治期に発行された新聞から、社会面を中心とした記事を年月日順に掲載している資料です。
p.69に明治36年5月27日付の報知新聞「巌頭の感の一文華厳の轟きより強し―藤村操投身の事情―」が掲載されています。見出しに相違がありますが『明治ニュース事典 7.明治36年‐明治40年』(前掲)の「「巌頭の感」を残し華厳の滝で自殺」〔明治36年5月27日 報知〕と同じ内容です。
また、読売新聞記事検索データベース「ヨミダス歴史館」の「明治・大正・昭和」において、「藤村操」のキーワードで検索したところ、次の記事を含む75件が該当しました。(検索日:2017.3.16)
・「那珂通世博士のおい、藤村操が「巖頭之感」残して日光華厳の滝に投身自殺」(明治36年5月27日)
2 その他の関連資料
次の藤村操に関する研究書、文献目録等から関連情報を確認しました。
・『検証藤村操 華厳の滝投身自殺事件』(平岩昭三/著 不二出版 2003)
明治36年5月26日付の万朝報「那珂博士の甥華厳の瀑に死す」と題された記事が引用されています。(p.5-7)
p.228-277「第八章 藤村操投瀑事件に関する文献・資料目録」の「Ⅰ新聞の部」に、下野新聞記事について、明治36年9月13日「欄外記事(管内汽車時刻表)」の記載があります。(p.241)(この新聞は当館で所蔵していますが、記事の内容は時刻表で、事件に関する具体的な記述はありません。)
また、p.278-281「あとがき」から、当該資料は過去に著者が発表した論文を参考したことが分かります。元となった論文のうち3件が当館に所蔵がありましたので、参考までにご紹介します。
・「藤村操の華厳の滝投身自殺事件をめぐって」(『日本大学芸術学部紀要 第19号』所収 1989)
・「藤村操投瀑事件余聞 新資料の紹介を兼ねて」(『日本大学芸術学部紀要(創作篇) 第17号』所収 1992)
・「藤村操投瀑事件に関する文献・資料目録」(『日本大学芸術学部紀要 第22号』所収 1992)
※以上3件は抜刷、自館複製資料です。
・『藤村操の手紙 華厳の滝に眠る16歳のメッセージ』(土門公記/著 下野新聞社 2002)
p.98に「巌頭の感」が掲載されています。これは明治36年5月26日付の万朝報「那珂博士の甥華厳の瀑に死す」の記事の引用です。
・『一高生藤村操の日光華厳滝投身自殺について』(柴田宜久/著、発行 出版年不明)
※全13ページですが、ページ付けされていない資料です。
明治36年5月27日付の報知新聞の「巌頭の感の一文華厳の轟きより強し――藤村操投身の事情――」を引用しています。この記事に「巌頭の感」が掲載されています。
・『日光市史 下巻 近現代・民俗』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
「第四編 近現代 第七章 宗教施設と社会問題」に「第三節 巌頭の感事件」があります(p.382-385)。