お尋ねの「水谷幡竜掛合記」について、『芳賀氏変遷史』(芳賀善次郎/著、発行 1968)の参考文献の部分に、以下のとおり記載されていました。
「水谷幡竜掛合記 慶長十二年、芳賀久下田町芳全寺の四世住職、徳岩叟が書いたもの。芳賀郡所々の旧家に保存されている。続群書類従にも同名本があるが、それとは文が違うので別本であろうという。」(p136)
この「芳賀郡所々の旧家」にあるという史料について、栃木県立文書館に確認したところ、寄託等による保管はしていないとのことでした。また、「水谷幡竜掛合記」というタイトルの資料についても、翻刻・写真帖を含め所蔵していないとのことです。ただし、「水谷幡竜伝」「水谷記」(「幡竜」はこの字ではないかもしれません)という、国立公文書館の内閣文庫で収蔵している資料の写真帖であれば、所蔵しているそうです(「水谷幡竜掛合記」との関連は不明です)。
この内閣文庫については、デジタルアーカイブで検索すると、「水谷幡(蟠)竜記」「水谷蟠竜之伝」「水谷記」といった史料が収蔵されていることが確認できます。
国立公文書館 デジタルアーカイブ
http://www.digital.archives.go.jp/index.html なお、上記資料引用にもある、『続群書類従』に収録されている史料は以下のとおりです。
・『続群書類従 第21輯下』訂正3版(塙保己一/編 続群書類従完成会 1982)
p197-215に「水谷蟠龍記」、p215-225に同書の別本が収録されています。この中で、p210に「芳賀清十郎貞直」の名が挙げられていました。上記『芳賀氏変遷史』p73には、「水谷幡竜掛合記」の大堀切の合戦の参加者に、芳賀伊賀守貞常と芳賀清十郎貞直の名がでているとあるので、やはり別系統の資料のようです。なお、p214に「芳賀左衛門尉貞国」という名前があります。
このほか、以下の資料に水谷幡竜についての記述がありますが、「水谷幡竜掛合記」に関する記述は確認できませんでした。
・『水谷蟠龍齋傳』(海老原麦禅/著 国華堂 1951)
索引等がないため、全文の確認はしておりませんが、天正14年の蟠龍と宇都宮氏の戦についての記述の中に、「芳賀伊賀守貞常、同清十郎貞直」の名が挙げられています(p124)。
また、「水谷幡竜掛合記」を記した住職のくだりで名前が挙がった「芳全寺」は、水谷蟠龍が建立したとの記述があります(p64-65)。
・『結城市史 1 古代中世史料編』(結城市史編さん委員会/編 結城市 1977)
p730-738に、「水谷蟠龍記」が収録されています。「「蟠龍軍記」、「続群書類従」所収」とあるので、前出の『続群書類従』の別本のものと同じ内容かと思います。
・『二宮町史 通史編1 古代中世』(二宮町史編さん委員会/編 二宮町 2008)
中世編の第三章(p309-351)が「水谷氏の登場」とあり、p317-347に水谷正村(幡竜のこと)についての記述があります。