レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月07日
- 登録日時
- 2014/07/19 16:17
- 更新日時
- 2014/07/19 16:17
- 管理番号
- 新都心2014-001
- 質問
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解決
ひな祭りの段飾りの起源について
- 回答
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①『雛と雛道具 : 名家秘蔵』 毎日新聞社, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001403391-00
執筆者により見解に相違あり。
・「雛人形の歴史」(斎藤良輔執筆。p81-91)では元禄以前。
・「雛飾りの風俗」(山田徳兵衛執筆。p96-107)では元禄以降。
②『新編日本人形史』(山田徳兵衛著) 角川書店, 1961. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001021679-00
・「雛段の賑わい」(p132-161)には「宝暦ごろまでには二段、三段にする家庭もあらわれてきた」「安永前後には四段、五段にする家庭もあった」との記述あり。
③『雛祭り雛めぐり』 文化出版局, 2003. (文化出版局mookシリーズ) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004280883-00
・「江戸っ子の雛飾り」(岡本純子執筆。p52-57)には「江戸後期には七段飾りの様式が完成」との記述あり。
・「雛人形の飾り方」(p88-89)には、段飾りのはじまりについて「諸説あるようだ」との記述あり。
④『図説日本の人形史』(山田徳兵衛編) 東京堂出版, 1991. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002360085-00
・「雛段の移り変わり」(p100-105)では、当時の絵画により移り変わりを説明していたので、参考資料として紹介。
⑤『生活文化歳事史』(半澤敏郎著)第2巻
・「雛壇式雛祭」(p601-610)には「その時代的断定は無理であるが、(中略)、恐らく寛延(1748~1751)~宝暦(1751~1764)のころではなかろうかと推考される。」との記述あり。
⑥『雛人形と武者人形』 斎藤良輔構成・解説 (人形 第4巻) 京都書院 1986
p.127に「(前略)江戸中期になると雛祭りの流行から、雛段数も二段、三段となり、安永(一七七二~八一)のころには四、五段、さらに幕末には七段から八段ものが見られるようになる。」との記述あり。
⑦『日本の雛人形』是澤博昭/著 淡交社 2013
p110に「雛段の数を多くするのは、江戸あたりの流行で、中略 確かに安永九年(一七八〇)の黄表紙『浦島太郎二度目竜宮』(鳥居清長画、都立中央図書館加賀文庫所蔵)には、四段ほどの賑やかな雛段五人囃子までも描かれている。」との記述あり。p123に「文化・文政(一八〇四~三〇)頃は、雛段も高く派手になり江戸の雛祭りは円熟期を迎えようとしていた。」との記述あり。
- 回答プロセス
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1.行事としての「雛祭り」について、また、その語彙について調査。
有料データベース『ジャパンナレッジLib』で検索した。
・『日本大百科辞典』で「雛祭」を参照したが、段飾りに関する記述はなかった。
・『国史大辞典』で「上巳」「雛人形」を参照したが、段飾りに関する記述はなかった。
2.当館所蔵資料の中でひな祭りに関する図書を調査。
・①『雛と雛道具 : 名家秘蔵』や③『雛祭り雛めぐり』にて関連する記述を見つけた。
・①『雛と雛道具 : 名家秘蔵』の執筆者の一人、山田徳兵衛氏が著した②『新編日本人形史』や④『図説日本の人形史』も参照し、関連する記述を見つけた。
・より専門的な資料の中に記述がないか調査した結果、⑤『生活文化歳事史』の中に記述を見つけた。
3.後日、レファレンス協同データベース協力館より以下の資料を教えていただいた。
・⑥『雛人形と武者人形』
・⑦『日本の雛人形』
- 事前調査事項
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特になし
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386)
- 人形.玩具 (759)
- 参考資料
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半沢敏郎 著 , 半沢, 敏郎. 生活文化歳事史. 東京書籍, 1990.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002074792-00 , ISBN 4487751810 (第2巻)
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半沢敏郎 著 , 半沢, 敏郎. 生活文化歳事史. 東京書籍, 1990.
- キーワード
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- 雛祭
- 年中行事--日本
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 職員
- 登録番号
- 1000156543