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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000259975
提供館
(Library)
広島市立中央図書館 (2210016)管理番号
(Control number)
中央-郷-2019-0011
事例作成日
(Creation date)
2019年8月8日登録日時
(Registration date)
2019年08月09日 11時03分更新日時
(Last update)
2019年08月21日 19時48分
質問
(Question)
かつて三段峡にあった大仏像について、現在はどこにあるのか等、詳しいことが知りたい。
回答
(Answer)
資料①②によると、建仁元年(1201年頃)に出羽国の戸澤経義の祈願で、仏師快慶が作り、その後、首と胴体がばらばらに安置され、大正14年頃に三段峡の樽床(たるとこ)に安置された、とありました。
資料③~⑦によると、昭和24年に広島市舟入の唯信寺(ゆいしんじ)に、昭和25年に細工町(さいくまち)の西蓮寺(さいれんじ)に、昭和30年に五日市の寺に移り、その後、一時所在不明となったようです。
資料⑧によると、現在は、奈良県安堵町にある極楽寺に安置されているようです。
回答プロセス
(Answering process)
1. 事前調査事項から、以下の資料を確認しましました。
 ①『山県郡写真帳 〔山県郡小誌〕』 広島県自治協会山県郡支会 1926年
  p.27 写真と文章がありました。
  「三段峡南の西善寺に仮安置。土御門天皇の時代、建仁元年、出羽国新庄山城主の戸澤経義の祈願によって、仏師快慶の作とされている。座像高さ一丈幅八尺、顔幅四尺。全身は金泥金箔。」

2. 書棚を確認したところ、以下の資料が見つかりました。
 ②『山県郡巡り道中記 再版』名田 富太郎/著 名田朔郎 1974年
  p.511 大仏尊像、大仏由緒の項目に記載がありました。
  「樽床の大仏。丈は一丈三尺、首の長さ三尺八寸、顔の幅耳から耳まで四尺、膝の幅八尺、蓮台や後光を含めると二丈余りになる。全身金箔。建仁元年、出羽国最上郡新庄山城主戸澤経義公の姫君の祈願によって京都の仏師安阿弥(やすあみ。快慶のこと)が作る。新庄町福昌寺に安置され、明治二年に寺の移転により、地元で安置していた。その後、首だけとなり、東京麻布飯倉三丁目に保管され、胴体は山形県山県市横町に安置される。大正十四年に三段峡保勝会の尽力で、首と胴体が再び一つになり、樽床に安置された。」
 ③『樽床誌』鈴政 信市/編 樽床誌編集委員会 1970年
  p.140~142 三段峡大仏の項目に戦後すぐまでの経緯の記載がありました。

3.レファレンス協同データベースで「大仏」「三段峡」をキーワードで検索したところ、以下の事例が見つかりました。
広島県立図書館 「広島大仏について知りたい。」 
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000138320 (2019/8/10最終確認)
参考図書のうち、自館所蔵の以下の資料を確認しました。
 ④『年表ヒロシマ 核時代50年の記録〔本編〕』中国新聞社/編 中国新聞社 1995年
  p.74 1949.9.27に「広島県山県郡の三段峡から仏像(広島大仏)が広島市舟入川口町の唯信寺に(9・30)」の記載がありました。
  p.87 1950.8.4に「広島大仏が爆心地の広島市細工町の西蓮寺に移る(8・5)」の記載がありました。
  p.208 1955.8.11に「広島市細工町、西蓮寺にある広島大仏が所有権争いの結果広島県佐伯郡五日市の寺に移転(8・12)」の記載がありました。
 ⑤『ヒロシマの記録 被爆30年写真集』中国新聞社 1975年
  p.86 写真の掲載がありました。「広島大仏、爆心へ」の見出しで、細工町西蓮寺に移るための行列の写真がありました。

4. 広島平和記念資料館平和データベースで「広島大仏」をキーワードで検索したところ、以下の資料が見つかりました。
 ⑥『ひろしま本通物語』井川 樹/著 南々社 2013年
  p.142~143 1950年の広島大仏遷座について記述がありました。
 ⑦『立ち上がるヒロシマ1952』岩波書店編集部/編 岩波書店 2013年
  p.13~16 西蓮寺の写真の掲載があり、p.15に阿弥陀如来像(広島大仏)の写真がありました。

5.インターネットで「広島大仏」をキーワードで検索したところ、以下のサイトが見つかりました。
 ⑧中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター HP
  記事「広島大仏「里帰り」企画」に、広島大仏は1955年頃に場所を移してからは所在不明となり、2015年10月現在は奈良県安堵町の極楽寺にあると記載がありました。 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=52594/(2019/8/10 最終確認)

以下の資料では確認できませんでした。
『安芸三段峡』熊 勝一/著 三峡社 1929年
『山県郡史の研究』名田 富太郎/著 名田朔郎 1953年
『戸河内町史 地理編』戸河内町/編 戸河内町 1997年
『戸河内町史 民俗編』戸河内町/編 戸河内町 1997年
『山県郡小史』広島県山県郡私立教育会/〔編〕 広島県山県郡私立教育会 1914年
『三段峡への道づれ』佐藤 重夫/著 佐藤重夫 1975年
事前調査事項
(Preliminary research)
『山県郡写真帳 〔山県郡小誌〕』広島県自治協会山県郡支会 1926年 p.27に写真と文章あり。
質問者は、熊南峰が勝手につけた名前ではないかと考えている。三段峡周辺の住民に聞いても知る人はいないとのこと。
NDC
中国地方  (217 9版)
仏像  (718 9版)
参考資料
(Reference materials)
広島県自治協会山県郡支会〔編〕 , 広島県自治協会山県郡支会〔編〕. 山県郡写真帳 : 〔山県郡小誌〕. 広島県自治協会山県郡支会, 1926.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082321047-00
名田富太郎著 , 名田, 富太郎. 山県郡巡り道中記 再版. 名田朔郎, 1974.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007721135-00
鈴政信市 編 , 鈴政, 信市. 樽床誌. 樽床誌編集委員会, 1970.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081642885-00
中国新聞社 編著 , 中国新聞社. 年表ヒロシマ : 核時代50年の記録. 中国新聞社, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002474808-00
中国新聞社. ヒロシマの記録 : 被爆30年写真集. 中国新聞社, 1975.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001183960-00
井川樹著 , 井川, 樹. ひろしま本通物語 : 577mの「舞台」に息づく人間模様. 南々社, 2013.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I005754125-00 , ISBN 9784864890120
岩波書店編集部 編 , 岩波書店. 立ち上がるヒロシマ1952. 岩波書店, 2013. (岩波写真文庫アーカイヴス)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024677131-00 , ISBN 9784000259101
キーワード
(Keywords)
三段峡
大仏
広島大仏
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000259975解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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