このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000236456
提供館
(Library)
所沢市立所沢図書館 (2310110)管理番号
(Control number)
所沢所分-2018-002
事例作成日
(Creation date)
2017/01/26登録日時
(Registration date)
2018年05月26日 00時30分更新日時
(Last update)
2018年05月29日 11時20分
質問
(Question)
宇多上皇(うだじょうこう)が出家した寺の名前と、法名が知りたい。
回答
(Answer)
宇多上皇が出家した寺の名前は「仁和寺(にんなじ)」です。
法名については史料により「金剛覚(覺)」とするものと、「空理」(のちに改名して「金剛覚(覺)」)とするものがあります。
 
以下の資料に記載があります。
 〇『日本史総合辞典』 林陸朗/[ほか]編集 東京書籍 1991年
 〇『歴代天皇・年号事典』 米田雄介/編 吉川弘文館 2003年
 〇『大日本史料 第1編之2』 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1968年
 〇『大日本史料 第1編之6』 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1978年
 〇『日本古典文学大系 72』 [菅原道真/著] 川口久雄/校注 岩波書店 1978年
 〇『群書類従 第5輯』 塙保己一/編纂 続群書類従完成会 1979年
 〇『国史大辞典 2』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980年
回答プロセス
(Answering process)
1.所蔵資料の内容確認
 〇『日本史総合辞典』林陸朗/[ほか]編集 東京書籍 1991年
   P184「宇多天皇」“(上略)譲位後の昌泰2年(899)益信を戒師とし、仁和寺において出家。法名を空理と号し、のち灌頂をうけ金剛覚と改め、法皇を称した。(以下略)”
 
 △『世界大百科事典 3』平凡社 2007年
   P261「宇多天皇」“(上略)899年(昌泰2)出家して空理(のち金剛覚)と号し、上皇を辞し法皇と称して修行にはげむ間に(中略)仁和寺内に御室を設けて住居とし、真言宗広沢流の祖となった。(以下略)”
 
 △『日本史辞典』京都大学文学部国史研究室/編 東京創元社 1978年
 P45「宇多天皇」“(上略)900年(昌泰3)法皇となり、のち仁和寺に移った(以下略)”
 
 △『歴代天皇総覧』 笠原英彦/著 中央公論新社 2001年
   p152“昌泰(しょうたい)二年(八九九)には仁和寺(にんなじ)で出家して初の法皇となった。”
 
 
後日追加調査事項
 
2.市内資料の内容を確認
 ×『対談天皇日本史』 山崎正和/著 文藝春秋 2015年
   P33~P54「「聖のみかど」宇多天皇」→関連する記載なし。
 
 △『日本古代史年表 下』 笹山晴生/編 東京堂出版 2008年
   P14「年号干支 899 昌泰2 巳未 〔資料1-2〕」
    「上皇 陽成 宇多(法)11.25~」
    「10-3.(中略)24.宇多上皇、仁和寺で落飾(紀略・管557)」
  
 〇『歴代天皇・年号事典』 米田雄介/編 吉川弘文館 2003年
   P138~140「宇多天皇」の項目あり
   P139「昌泰(しょうたい)二年(八九九)十月一四日、仁和寺で出家、法名を空理(のち灌頂を受けて金剛覚と改める)と号し、(以下略)」
   
 △『神皇正統記』 [北畠親房/著] 岩佐正/校注 岩波書店 1979年
   P115「中一とせばかりありて出家させ給。(中略)仁和寺に傳侍は是なり。」
 
 △『日本の名著 9』 慈円/[著] 北畠親房/[著] 永原慶二/責任編集 中央公論社 1974年
   P337~456「神皇正統記」
   P404~405「中一年ほどたって出家。(中略)この天皇の法流は今仁和寺に伝えられている。」
 
 ×『天理図書館善本叢書 和書之部 第13巻』 天理図書館善本叢書和書之部編集委員会/編集 天理 天理大学出版部 八木書店(発売)
   P389~504「扶桑略記 金勝院本」
   解題P52「歴代天皇の索引」より「五十二代 平城天皇」まで、宇多天皇についての記載なし。
 
 〇『日本古典文学大系 72』 [菅原道真/著] 川口久雄/校注 岩波書店 1978年
  ※菅家文草・菅家後集を収録
   P558「五七八・五七九・五八〇・五八一の四篇、(中略)すなわち昌泰二年十月しばしば宇多上皇は太上皇を辞し、ついに二十四日に大僧都益信を戒師として仁和寺において落髪入道して、法名を金剛覺と名づけたのである。」
 
 △『続群書類従 第4輯 下』 塙保己一/編纂 続群書類従完成会
   P453~459「仁和寺御室系譜」
   P453「宇多法皇 (中略)法諱空理。御灌頂之時改金剛覺。」
 
 〇『群書類従 第5輯』 塙保己一/編纂 続群書類従完成会 1979年
   P429~474「仁和寺御傳」
   P430「昌泰二己未年十月廿四日於仁和寺御出家、御年卅三、御法名空理、後改金剛覺」※返り点省略
 
 〇『国史大辞典 2』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980年
   P104~105「宇多天皇」の項「昌泰二年(八九九)十月十四日、仁和寺で出家、法名を空理(のち灌頂を受けて金剛覚と改める)と号し、太上天皇の尊号を辞して法皇と称した。
 
3.県内所蔵資料の内容を確認する        
 〇『大日本史料 第1編之2』 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1968年
   P699~705「昌泰二年十月二十四日」項目あり
   P699「二十四日、甲申、之ヨリ先、宇多上皇屢尊號ヲ辭シ給フ、是日、仁和寺ニ於テ、御落飾アラセラレ、重ネテ之ヲ辭シ給フ、」
   P699「日本紀略」からの引用あり
   P699「扶桑略記」からの引用あり
   P699「大鏡」からの引用あり
   P699「仁和寺御傳」からの引用あり
   P700「法皇次第」からの引用あり
 
 〇『大日本史料 第1編之6』 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1978年
   P.492~556「承平元年七月十九日」の項目あり
   P499~500「皇年代略記」からの引用あり
   P505~506「仁和寺御傳」からの引用あり
 
 △『延喜天暦時代の研究』 古代学協会/編 吉川弘文館 1969年
   P89~122「宇多上皇の院と国政」
   P97「昌泰二年十月二十四日、宇多上皇は仁和寺において落飾した(『日本紀略』『扶桑略記』『仁和寺御傳』)。」の記載あり。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
日本  (281 9版)
系譜.家史.皇室  (288 9版)
参考資料
(Reference materials)
日本史総合辞典 林陸朗/[ほか]編集 東京書籍 1991.11 210.033 4-487-73175-5
歴代天皇・年号事典 米田雄介/編 吉川弘文館 2003.12 288.41 4-642-07922-X
大日本史料 第1編之2 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1968 210.088
大日本史料 第1編之6 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1978 210.088
日本古典文学大系 72 岩波書店 1978 918
群書類従 第5輯 塙保己一/編纂 続群書類従完成会 1979 081
国史大辞典 2 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980.7 210.033 4-642-00502-1
キーワード
(Keywords)
宇多天皇
宇多上皇
宇多法皇
仁和寺
空理
金剛覚
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
一般
登録番号
(Registration number)
1000236456解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!