レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20141115
- 登録日時
- 2017/11/15 00:30
- 更新日時
- 2018/03/22 15:11
- 管理番号
- 広県図20140140
- 質問
-
解決
20年くらい前に広島大学が呉市警固屋地区にある河内千軒跡の海底調査を行ったことが「中国新聞」に掲載されていた。この時の調査の報告書等があるか。
- 回答
-
河内千軒跡の海底調査について。(【】は当館請求記号。)
『中国新聞項目別記事索引 1985年12月』
19日18面「音戸の瀬戸海底に眠る? 「河内千軒」 超音波で集落探査 呉の歴史愛好家ら「手掛かりつかめた」」
『警固屋の歴史』[警固屋歴史研究会/編],警固屋歴史研究会,2003.03【H21.31/ケコヤ103ア】
p.68 河内千軒は伝説か
「この問題をとくために昭和60年12月17日~18日の二日間~」
『広島商船高等専門学校紀要』第9号(昭和62年3月20日)【雑誌】
p.135-141 浅海での水中探査システムとその応用
『芸備地方史研究』282・283号(2012.12)【雑誌】
p.46-76 平清盛音戸瀬戸「日招き」開削伝説お形成と浸透 下向井龍彦
p.51-52 自然地理学・地質学から見た音戸瀬戸 ※「河内千軒」の記述はない。
河内千軒については,次の資料に記載あり。
『音戸瀬戸開削の謎:伝説の中の清盛』中邨末吉/著,呉郷土史研究会,1977【H23/N37ア】
p.108-110 瀬戸を染めた「河内千軒」の朱壺
p.110-113 海に沈んだ「奉行所」や「屋敷跡」
『館報入船山 第8号』呉市入船山記念館,1996.03【H20.31/クレシ1/V.8ア】
p.1-21 「警固屋」考 清盛の内海航路掌握政策 下向井龍彦
p.18「警固屋には、呉側からみて音戸の瀬戸の裏手に「河内」という小字がある。・・・」
『KURE:BAN 2011.8』【雑誌】
巻末 「平清盛」と音戸の瀬戸開削伝
地名が歴史を顕す
「警固屋側に残る河内千軒という伝説的地名は、かつてにぎわった泊の一つだったのではないだろうか。」
『音戸町誌』音戸町誌編纂検討委員会/編集,音戸町,2005.03【H21.33/オント105ア】
p.25「警固屋側の「河内千軒」の地名は、かつて繁盛した泊が何かの事情で衰退した名残であろうか。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 参考資料
- キーワード
-
- 河内千軒跡
- 海底遺跡
- 警固屋
- 音戸
- 呉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000224775