レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/04/04
- 登録日時
- 2017/09/07 00:30
- 更新日時
- 2018/08/17 15:46
- 管理番号
- 6000001220
- 質問
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解決
緒方八重が大坂の緒方洪庵のところへ行った道筋
- 回答
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生瀬から安倉、昆陽、伊丹、神埼という順に通ったと思われる。
- 回答プロセス
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西岡まさこの小説『緒方洪庵の妻』では「安倉を過ぎ姥ヶ茶屋で道は二つに分かれる(中略)百起は昆陽への道をとった。」とあるところから西国街道を通ったと考えられる。しかし小説では証明にならないので、近世から近代にかけての街道を確認する。
『西宮市史』第2巻P144からの記述によると、「摂津国絵図」では西国街道が「池田、小浜を経て生瀬に達し・・・」とあるので、八重はその道を逆に生瀬から小浜、安倉を経て昆陽から神崎川に出たと思われる。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 緒方洪庵の妻西岡まさ子/著河出書房新社 (P9)
- 西宮市史第2巻/西宮市編集発行 (P143)
- キーワード
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- 緒方八重(オガタヤエ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000221564