レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年9月21日
- 登録日時
- 2017/03/29 00:30
- 更新日時
- 2018/09/15 09:40
- 管理番号
- 県立長野-16-181
- 質問
-
未解決
長野県内に「稲香村」という地名、および「稲香庵」という寺院か寺子屋はあるか。さらに江戸後期の書家「秦星塢(はた せいう)」の書が現存しているか。
- 回答
-
1 稲香村という地名は県内で確認できない。
2 稲香庵という寺院・寺子屋も確認できない。
3 秦星塢の来県は不明。
- 回答プロセス
-
1 稲香村という地名について
(1) 県内の市町村名の変遷について『信州ふるさと変遷史』新版 松橋好文原著 一草舎 2006 【N290.3/46a】、『明治初期 長野県町村字地名大鑑』滝沢主税編 長野県地名研究所 1987 【N293/14】等を調査。稲香村は確認できない。
(2) 全県を調査することはできないが、『長野県町村誌 北信編 復刻版』長野県編 名著出版 1973 【N290/33a】で、妙高市に比較的近い長野市北部以北について明治期の市町村の字名を調査したが、確認できない。
2 稲香庵について
(1) 『上水内郡誌 歴史編』上水内郡誌編集会編・刊 1976 【N212/93/2】で、寺子屋一覧を見たが、「稲香庵」は確認できない。(庵名が確認できた寺子屋については庵名の記載がある。)
(2) 1の(2)と同じように『長野県町村誌 北信編』他で、市町村内の寺、神社、古跡などを見たが、「稲香庵」は確認できませんでした。
3 秦星塢の来県について
(1) 『長野県歴史人物大事典』神津良子編 郷土出版社 1989 【N283/13】等を見たが、秦星塢についての記述はない。
(2) 来訪について現存する文書類に記述があれば、『信濃史料』索引 信濃史料刊行会編・刊 1972 【N208/28a/31】に掲載さていれる可能性が高いので、「秦星塢」「星塢」で索引を引いたが、記載はない。
(3) 妙高市と北国街道沿いに近い上水内郡信濃町の『信濃町誌』信濃町誌編纂委員会編 信濃町 1968 【N212/89】を見たが、江戸時代に町を訪れた文人中に「秦星塢」は確認できなかった。
<その他調査資料>
・『日本地名分類法』2006総索引篇 滝沢主税編著 日本地名研究所 2006 【291.03/タチ/’06-3】
・『長野県教育史』第1巻歴史編 長野県教育史刊行会編・刊 1978 【N372/52/1】
・『長野県の文化財』八十二文化財団 2016 【N709/99c】
・『長野県文化財目録』長野県立歴史館 2003 【N709/50/’03】
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
-
- 稲香村
- 稲香庵
- 秦星塢
- 寺子屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000213350