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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000196776
提供館
(Library)
千葉県立中央図書館 (2120001)管理番号
(Control number)
千県中参考-2016-11
事例作成日
(Creation date)
2016/06/09登録日時
(Registration date)
2016年09月10日 00時30分更新日時
(Last update)
2016年12月06日 17時56分
質問
(Question)
明治4年ごろから明治28年ごろまで、旧佐倉藩主堀田正倫は東京深川佐賀町に住んだが、その場所を知りたい。『ワイド版 東京今昔散歩』(p47)によると、旧堀田邸は現在の墨田区役所・アサヒビール本社とある。しかし、墨田区役所の説明板には、旧秋田藩主佐竹邸であったとある。
回答
(Answer)
【資料1】に明治17から30年の地図で、佐賀町に「堀田邸」の文字のあるもの、現在の墨田区役所・アサヒビール本社と思われる位置に「佐竹」の文字のあるものが見つかりました。
【資料2】には、深川佐賀町二丁目にあった堀田家本邸と向島須崎村にあった堀田邸の位置の説明が見つかりました。
【資料3】によると、深川佐賀町二丁目の現行行政地名は江東区佐賀一丁目とのことです。なお、この資料の現行行政地名は、凡例によるとおもに2002年4月1日発行の「国土行政区画総覧」に依拠とのことです。

【資料1】「所蔵地図データベース」(国際日本文化研究センター)
「内容年代順索引」( http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/index_era.html )から、1870年代から1890年代について、深川佐賀町が含まれると判断した地図を中心に閲覧したところ、下のような図が見つかりました。

「1880年代」から
「五千分一東京図測量原図」(内題)東京府武蔵国日本橋区蛎殻町及深川区佐賀町西大工町近傍
(複製 原本書誌事項:参謀本部陸軍部測量局 明治17)
中央よりやや下、永代橋の右に「堀田邸」の文字が見えます。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1439.html

「1890年代」から
「東亰精測新圖」(内題)東亰精測新圖 、(外題)東亰精測新圖
(大村恒七 福田熊次郎(発売人) 和田米三(印刷人) 明治23)
中央よりやや右、吾妻橋の右下には「△佐竹」の文字が見えます。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1281.html

「1890年代」から
「東京一目新圖」(内題)東京一目新図、(表題)東京一目新図
(複製 原本書誌事項:武部瀧三郎 和田此太郎(印刷者) 田村鐵之助(発行者) 明治30)
隅田川河口付近佐賀町に「堀田邸」の文字が見えます。
同じ図の吾妻橋右側には、居住者等の名前は見当たりません。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2407.html

【資料2】『日本の肖像 第2巻 旧皇族・華族秘蔵アルバム 弘前・津軽家 佐倉・堀田家 水戸・徳川家分家』
p86(写真の説明として)「この堀田邸は、東京・深川佐賀町二丁目にあった明治初年の堀田家本邸だった。永代橋を渡り、隅田川沿いを遡る、ちょうど箱崎空港ターミナルの対岸辺りに、堀田邸はあった」
p86-87(上とは別の写真の説明として)「「七松園」とは、明治十二年六月に、向島須崎村に購入し、佐倉へ移るまで使用した堀田邸のことだ」「墨田区でまとめた『墨東外史すみだ』によれば、この別邸は弘福寺の東隣りにあり」「弘福寺は、現在も桜餅で名高い長命寺の隣りにある。墨堤通りと隅田川に挟まれた一角だが、震災・戦災で大きな痛手をこうむり、現在は高速道路が墨田川畔を走る向島に、明治の名園の面影はない」
弘福寺、長命寺の住所は、下のウェブページによると向島五丁目3番2号、向島五丁目4番4号です。
墨田区役所・アサヒビール本社の位置とは一致しませんが、数百メートルの範囲内と思われますので、ご参考にお知らせします。
「隅田川七福神」(墨田区公式ウェブサイト)
http://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/sitihukuzin.html
また、それぞれの位置は、下のウェブページの地図に記載されています。
「アクセス」(黄檗宗弘福寺)
http://ko-fukuji.wix.com/kofukuji#!access/c1mtc

【資料3】『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』
p706「深川佐賀町二丁目 現 江東区佐賀一丁目」「五年旧下総佐倉藩堀田邸、下海軍所組屋敷、その他の旧武家地、深川永代町(明治三年永代橋東助成地が改称)などを合併。合併された地域は文久二年(一八六二)改正の尾張屋版切絵図によると、上総大多喜藩松平(大河内)家下屋敷・船手組屋敷など」

(インターネット最終アクセス:2016年9月23日)
回答プロセス
(Answering process)
(1)調査範囲
お知らせいただいた情報と【資料4】の情報により、明治4(1871)年から29(1896)年までの堀田正倫氏の住所情報と深川佐賀町(一部吾妻橋)の地図を探しました。

【資料4】『伯爵堀田公事蹟略』
p2 「五年四月深川ノ邸ヲ賜ハル」「二十九年二月二十八日允許ヲ得テ千葉縣貫屬ト爲ル尋テ佐倉ニ轉籍ス」

(2)堀田正倫氏の住所について

「ヨミダス歴史館」(読売新聞記事データベース)
「堀田 正倫」「堀田 伯爵」「堀田 深川」「堀田 本所」「堀田 吾妻橋」で検索し、1871年-1896年の記事を閲覧しましたが、深川佐賀町以上の詳細な住所は見つかりませんでした。

『日本紳士録』(第3版)(交詢社 1896)
当館所蔵最古版。堀田正倫氏の掲載を確認できませんでした。

『大日本人名辞書 下巻 従タ至ヲ』(訂正増補第3版)(経済雑誌社 1896)
当館所蔵最古版。堀田正倫氏の掲載を確認できませんでした。

【資料5】『都道府県別資産家地主総覧 東京編』
収録されている資料のうち、氏名から検索できる資料に限って調査しました。
2巻p97(「東京市及接続郡部地籍台帳」(東京市区調査会 明治45)p26)
「堀田正倫」の住所と筆数は下のとおりとなっています。
原本発行年明治45年なので明治29年より後の内容と思われます。
 千葉、印旛、佐倉、三二○(筆数記載なし)
 日、蠣殻町二 三筆
 同、下槇町 一筆
 京、本材木町三 一筆
 同、木挽町一 一筆
 同、築地一 六筆
 同、同三 一筆
 本郷、彌生町 五筆
 深、佐賀町二 七筆
なお、この資料の情報は下のページから得ました。
東京都立図書館 > 江戸東京資料案内 > 都市・東京情報 > テーマ別に調べるには 都市・東京情報を探す > 人物・団体
http://www.library.metro.tokyo.jp/tabid/2547/Default.aspx

(3)深川佐賀町の地図について

【資料6】『明治時代東京区分図』
p148-149「明治三十年十一月調査東京市深川區全圖」の一部で深川佐賀町の番地が確認できますが、居住者等の名前は見当たりません。【資料5】にあった深川佐賀町二丁目の位置は確認できます。なお、明治30年調査なので明治29年より後の内容です。

【資料7】「東京都立中央図書館都市・東京情報係所蔵 地図目録」
http://www.library.metro.tokyo.jp/edo_tokyo/tokyo/tabid/1216/Default.aspx
明治4年から29年の住宅地図に該当するものでは下の「明治初期東京地籍図集成」がありましたが、千葉県立図書館では複製元の資料も含め未所蔵につき、内容は確認できておりません。
A. 一般地図編 [2]住宅地図その他(1)地籍地図
 明治12年刊
 明治初期東京地籍図集成A~C(科学書院霞ヶ関出版発売3冊 DRT290.3/5026/1~3 製本)
 ※「実測東京全図」(内務省地理局校補)及び「大日本改正東京全図1-15号,附録」(西川光通編西川光穂刊)の複製

【資料8】「国立国会図書館デジタルコレクション」( http://dl.ndl.go.jp/
「大日本改正東京全図」「実測東京全図」で検索したところ、
出版年月が異なるため『明治初期東京地籍図集成』収載のものとは別物と思われますが、下の資料がヒットしました(インターネット公開)。
「實測東亰全圖 市郡村名改正 十五區六郡町村名一覽」(金川堂, 1897)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1084762
永代橋、吾妻橋付近を閲覧しましたが、画像不鮮明につき判別できませんでした。
なお、1897年発行なので明治29年より後の内容の可能性があります。

Google( https://www.google.co.jp/
上で情報を得た資料がどこかでデジタル化され、公開されていないかと考え、いくつか試していたところ、キーワード「實測東亰全圖 市郡村名改正 十五區六郡町村名一覽」により【資料1】を見つけました。

※事例登録後、(2)の堀田正倫氏の住所に関して、下のような補足の情報提供を受けて更新(2016年12月6日)。

「国立公文書館デジタルアーカイブ」( https://www.digital.archives.go.jp/ )での検索結果から、堀田正倫氏の住所として「第六大区一小区」の記述がありました。

【資料9】「堀田正倫蔵書籍献納願」
【資料10】「東京府華族堀田正倫願・府」
【資料11】「華族堀田正倫養弟ノ儀ニ付伺」

国立国会図書館デジタルコレクション(【資料8】)に下記文献の画像が公開されており、p1(8コマ目)に「第六大區 壹小區 深川佐賀町二丁目」とありました。

『千古不朽東京地所明細 第6大区』(中井城太郎編 尚玄堂 1880)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800944
事前調査事項
(Preliminary research)
『写真に見る佐倉』(p26)
NDC
日本  (291 9版)
個人伝記  (289 9版)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】「所蔵地図データベース」(国際日本文化研究センター)( http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/menu.html
【資料2】『日本の肖像 第2巻 旧皇族・華族秘蔵アルバム 弘前・津軽家 佐倉・堀田家 水戸・徳川家分家』(毎日新聞社 1990)<当館請求記号28103/N71/2>(9102052785)
【資料3】『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』(平凡社 2002)<当館請求記号29103/3/13>(0105695693)
【資料4】『伯爵堀田公事蹟略』([藤井善言謹述] [藤井善言] [1911])<当館請求記号C28/H96/2>(9200067389)
【資料5】『都道府県別資産家地主総覧 東京編』(全4巻)(渋谷隆一編 日本図書センター 1988年)[西部図書館所蔵](1100637376)(1100637385)(1100637394)(1100637400)
【資料6】『明治時代東京区分図』(槌田満文編 東京堂出版 1976)<当館請求記号29136/ME25>(9102215129)
【資料7】「東京都立中央図書館都市・東京情報係所蔵 地図目録」( http://www.library.metro.tokyo.jp/edo_tokyo/tokyo/tabid/1216/Default.aspx
【資料8】「国立国会図書館デジタルコレクション」( http://dl.ndl.go.jp/
【資料9】「堀田正倫蔵書籍献納願」(太政官 明治7年3月)4コマ目( http://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000000096813
【資料10】「東京府華族堀田正倫願・府」(太政官 明治8年2月)3コマ目( http://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000000107573
【資料11】「華族堀田正倫養弟ノ儀ニ付伺」(太政官 明治9年5月)3コマ目( http://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000000109479
キーワード
(Keywords)
堀田 正倫(ホッタ マサトモ)
深川佐賀町(フカガワサガチョウ)
東京都 - 地図(トウキョウト - チズ)
佐倉藩(サクラハン)
佐倉市(サクラシ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土,人物
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000196776解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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