レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/07/06
- 登録日時
- 2016/07/27 00:30
- 更新日時
- 2020/04/21 15:35
- 管理番号
- 1000000857
- 質問
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解決
戦時中に起きた沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故について知りたい。
- 回答
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①
『沖縄大百科事典 下 ナ~ン』(沖縄大百科事典刊行事務局編、沖縄タイムス社、1983.5)
p779「輸送弾薬爆発事故」の項目があり、「1944年(昭和19)11月の日本陸軍第9師団(武部隊)台湾抽出にともない、南部地区守備隊となった第24師団(山部隊)が移動作戦実施中の12月11日、武器弾薬輸送にあたった8両編成の沖縄県営鉄道糸満線が南風原村神里付近で爆発、大量の武器弾薬、兵員二百十数人と乗務員・女学生が犠牲となった事故。」の記述がある。
②
『図説・沖縄の鉄道』(加田 芳英著、ボーダーインク、2003.7)
p37-38「列車大爆発事故」の項目で「南風原村神里付近の切通しにさしかかるや、突如列車は轟音を発し大爆発、辺りは火の海と化した。乗っていた二百数十人の人々は瞬時にこなごなになって飛び散った。(略)軍はすぐに原因調査にのりだしたが、結局真相はわからず仕舞いで、東風平国民学校で秘かに合同葬儀を行い事故は秘密裡に処理され、遺体は不慮の事故としてただ泣き寝入りするだけであった。その後判明した被害状況は死者、軍人二百十人前後、女学生八人、県鉄職員三人で、二百数十人の人々が友軍の弾薬によって畑に散るという痛ましい事故であった。」と記述がある。
③
『ケービンの跡を歩く』(金城 功著、ひるぎ社、1997.10)
p177-180「列車の爆発」の項目で、「稲嶺駅へ向かう切取り付近に差し掛った時に突如として轟音を発し一帯は火の海と化した。時計の針は午後四時三十分前後を指していたという。乗り込んでいた二百数十名の人間はこなごなになって飛び散った。最後方の一両は連結点から吹っ切れ、火が着いたまま後方の津嘉山駅まで押し流された。」と記述がある。
④
『那覇市史 資料篇 第3巻7』(那覇市企画部市史編集室編、那覇市、1981)
p204-210「弾薬輸送列車の大爆発 川端光善』の項目で、「昭和十九年、沖縄県鉄の線路で軍輸送車の大爆発が起きた。(略)田圃と小川を横切り稲嶺駅へ向う切通し附近に差しかかるや突如として轟音を発し一帯は火の海と化した。その爆発音は那覇市をはじめ島尻全域に響き渡った。時計の針は午後四時三十分前後を指していた。大音響と同時に乗り込んでいた二百数十名の人間はこなごなになって飛び散り、あるいはガソリンと火薬の火によって焼き尽くされた。」と記述がある。このほか、陸軍病院の惨状や、合同葬儀、事件を秘密にすることとした三十二軍参謀長から各部隊に対する注意事項(昭和十九年十二月十四日付、石兵会報九四号より)、3件の証言を確認できる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 下 ナ~ン 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/3 p779
- 2 図説・沖縄の鉄道 加田 芳英∥著 ボーダーインク 2003.7 K68/KA13 p36-37
- 3 ケービンの跡を歩く 金城 功∥著 ひるぎ社 1997.10 K68/KI44 p176-179
- 4 那覇市史 資料篇 第3巻7 市民の戦時戦後体験記 那覇市企画部市史編集室∥編 那覇市 1981.3 K23/N27/3-7 p204-210
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000195247