レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/04/02
- 登録日時
- 2015/07/20 00:30
- 更新日時
- 2015/07/20 00:30
- 管理番号
- 6001009059
- 質問
-
解決
山陰地方のたたら製鉄についての資料を探しています。
- 回答
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まず参考までに「たたら」に関する資料を紹介します。
『泉原たたら:発掘調査報告書』(頓原町教育委員会/編集 頓原町教育委員会 1985.2) 【327-3349-#】
『近世たたら製鉄の歴史』(雀部実/編 丸善プラネット 2003.12) 【564-127N】
『古来の砂鉄製錬法:たたら吹製鉄法』(俵國一/著 慶友社 2007.6)【564.1-12N】
『今昔:鉄と鋳物:日本刀・茶釜・大仏・鐘めぐり』(塚原茂男/著 養賢堂 2007.7)【564-172N】
『山陰におけるたたら製鉄の比較研究』(島根県古代文化センター 2011.10)【564-230N】
『史跡田儀櫻井家たたら製鉄遺跡総合ガイドブック:この一冊で田儀櫻井家が分かる!』(出雲市文化環境部文化財課/編集 出雲市 2011.3) 【210.2-6792N】
『たたら:岩田めぐみ写真集』(岩田めぐみ/著 冬青社 2011.10)【A748-1862N】
『たたら製鉄(吉備考古ライブラリィ)』(光永真一/著 吉備人出版 2003.11) 【564-101N】
『たたら製鉄・石見銀山と地域社会:近世近代の中国地方』(相良英輔先生退職記念論集刊行会/編 清文堂出版 2008.3)
【564-194N】
次に、山陰地方のたたら製鉄について、上記以外の資料を紹介します。
『新修島根県史 通史篇 2』 (島根県 1967.2)【217.3/23N/】
p.696-699
「・・・・・かっては島根の鉱工業を代表した砂鉄採取と製鉄業だったが、明治以降の衰退の過程とともに、その状況を知らせてくれる資料は極めて乏しい・・・・・」という記述があります。
『たたら製鉄業史の研究』(野原健一/著 渓水社 2008.3)【564/195N】
はじめに
p.30 「さて、たたら製鉄業は、江戸時代中期、18世紀にはいって、ことに社会的分業が進むなかで、中国地方を中心に盛んになった。たたら製鉄業は、原燃料が砂鉄、木炭という点で、その自然立地的条件が重要になる。わけても技術や輸送や市場がまだ未発達な場合な近世では、自然的諸条件に拘束される度合いが大きかった。たたら製鉄業が中国地方を中心に発達したのは、同地が良質の砂鉄を豊富に産ずるほか、燃料木炭の確保が容易であったことである。」
p.31「中国地方のたたら製鉄業がもっとも盛んであったのは江戸時代の好機である。商品化の波が農村にも波及し、市場構造の弛緩が漸次みられるようになった幕末期において、たたらはその販路を確立するのである。しかし、その隆盛も明治期に入ると、資本・市場の狭あい性あるいは技術・生産面での行きづまりから、一連の危機に見舞われる。」
二、たたら製鉄業の衰退
p.41「出雲の東隣にある伯耆の日野郡もたたら製鉄業が盛んであった。そこの近藤家は、出雲三名族(櫻井・糸原・田部家)の鉄山師と並んで、明治にはいっても技術革新を試みるなどしてたたらを営んでいる家である。」
『たたら製鉄と近代の幕開け: 日本独自の文化遺産 』 (島根県立古代出雲歴史博物館/編集 島根県立古代出雲歴史博物館 2011.10 )【564/234N】
『石見銀山遺跡関連講座記録集 平成23年度』(島根県教育委員会(文化財課世界遺産室) 2012.3 )【562.1/28N】
[事例作成日: 2015年4月2日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 新修島根県史 通史篇 2 島根県 1967.2 (696-699)
- たたら製鉄業史の研究 野原/建一∥著 溪水社 2008.3 (30、31、41)
- たたら製鉄と近代の幕開け 島根県立古代出雲歴史博物館∥編集 島根県立古代出雲歴史博物館 2011.10
- 石見銀山遺跡関連講座記録集 平成23年度 島根県教育委員会(文化財課世界遺産室) 2012.3
- https://www.mailmaga.pref.osaka.lg.jp/mailmaga/web_dtl.php?hdnID=20338 (【大阪府立中央図書館メールマガジン】 第157号 【2】レファレンス事例紹介【たたらについて】(2015/3/21現在))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名・地域,人物・団体,ビジネス,その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000177502