レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年09月01日
- 登録日時
- 2013/12/08 11:04
- 更新日時
- 2013/12/08 11:04
- 管理番号
- tr287
- 質問
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解決
明治9年ごろまで、鬼怒川を「絹川」「衣川」と書いたようだが、なぜ変更されたのか。昔は洪水で度々氾濫する川であったと見たが、関係があるか。
- 回答
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1 鬼怒川の洪水について
明治9年前後に、鬼怒川で大きな水害があったという記録は、確認できませんでした。ただし、洪水自体は江戸期から多発していたことが、以下の資料から確認できます。
・『鬼怒川・小貝川 谷原領物語 治水・利水・暮らし・水環境』
(鬼怒川・小貝川流域を語る会/編 国土交通省関東地方整備局下館河川事務所/監修 鬼怒川・小貝川流域を語る会 2005)
p113-116「明治・大正・戦前の水との闘い」に、洪水の記録が記載されていますが、明治9年前後の洪水の記録は記載がありませんでした。
・『鬼怒川小貝川 自然文化歴史』(鬼怒川・小貝川読本編纂会議、編集委員会 鬼怒川・小貝川サミット会議 1993)
p85に「(略)水害の発生は絶えず、明治期になっても同様であった。鬼怒川の場合、明治二十二・二十九・三十五・四十三年と大洪水が発生し、とくに明治四十三(一九一〇)の洪水は鬼怒川改修計画の契機となった。」とあります。
・『水との闘い 西鬼怒川土地改良区沿革概史』(西鬼怒川土地改良区/編 西鬼怒川土地改良区 1975)
洪水の記録としては、享保8年の「五十里大洪水」のほか、明治18年・22年・23年に大きな洪水があったと記されています(p12)。また同ページに「毎年大雨が降ると出水したちまち増量し、西鬼怒川沿岸は惨害を免れることができなかった。」とあります。
2 「鬼怒」の字の使用について
以下の資料を確認しましたが、明確な理由は確認できませんでした。ただ、明治期にも「鬼怒」以外の字を使用している例が確認できます。さらに、日光市にある「鬼怒沼」についても、別の漢字を使用している例が多く見られたので、以下に併せてご紹介します。
・『栃木縣史 第1巻 地理編』(田代善吉/著 臨川書店 1972 下野史談会1933刊の復刻)
p246-280に「鬼怒川』の項があります。ここに
「鬼怒川とは、何時代より其の名があつたものか、上古には毛野國なるを以て毛野川とも唱へたるが、(略)上古は毛野川と称せしことは、続日本紀巻二十九に曰く。(略)平安時代の末頃は絹川と書せしか。義経記に曰く。(略)毛野川、絹川、衣川と書せしも鬼怒川と書するに至りしは近代のことである、徳川時代の日記を見るも明治時代にも絹川と書いたのを見れば、其の筆者が任意の文字を用いたのであらうか。」
とあり、この後の例示で「安積艮齋阿久津より絹川を下るの記」「名勝地誌(鬼怒川、絹川と表記)」「兵要日本地理(衣川と表記)」「小学下野誌(絹川と表記)」が紹介された後、
「以上の如く勝手に其文字を使用せしも普通一般に、鬼怒川と書く様になつたのは、近代のことではなからうか、明治九年五月印刻の、栃木縣治一覧には鬼怒川と書いてある。」
と述べられています。また、
「前述の如く古名毛野河である衣川は後に転じたもの、万葉集には鬼奴、毛野川とは毛野山より出づるといふ義なりと、常陸國誌に曰く、鬼奴川即ち毛野川云々、(略)」
とあります。
・『栃木県史 通史編 8.近現代 (3)』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1984)
那須野が原開拓に関する記述部分に掲載されている「那珂川から鬼怒川に達する通船水路の測量請願(明治15年)」という文書では、「鬼怒川」の文字が使われています(p222)。
・『栃木県治提要』(栃木県/編 栃木県 1881)
p8の「河川」の記載部分には「鬼怒川」の字で記載があり、源流についての解説部分には「鬼怒沼」の字で記載があります。ただし、同ページの「湖沼」の記載部分には「絹沼」の字で記載されています。
・『栃木県治一覧表 明治8年』(栃木県 1876)
当館未所蔵の資料ですが、国立国会図書館でデジタル化し、インターネット公開されています。
こちらではp3の「大川」の記載部分に「鬼怒川」、「名勝」の記載部分には「衣川」、「湖沼」の記載部分には「衣沼」の字で記載されています。
【参考】
国立国会図書館 デジタル化資料 『栃木県治一覧表 明治8年』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806643
・『小学下野誌 全』(根本丑松/編 内山港三郎 1895)
2丁に「絹川は、源を塩谷郡の衣沼に発し」、4丁に「絹川」、21丁に「鬼怒川」「鬼怒沼」、22丁には「衣沼」「鬼怒川は、源を衣沼に発し、(略)本郡第一の大河なるを以て、昔は國名を負はせて毛野川といへりとなん。」と、様々な表記が混在しています。
・『日本名勝地誌下野國』(野崎左文/著 博文館 1908 東山道之部(上)より抜刷)
p429に「河流には鬼怒川あり源を塩谷郡の衣沼に発して(略)」とあります。
・『鬼怒川物語』(横島広一/著 崙書房 1979)
p3-4に「鬼怒川流域に大洪水が頻発し、その被害の大きかったことは後述するが、その恐ろしさが幾世代にも言い伝えられ、いつか静的な名称の「衣川」「絹川」を、動的面を表した「鬼怒」と書かせていったのであろう。」とありますが、あくまで筆者の推測とのことです。
以下の資料には、特筆すべき記述は確認できませんでした。
・『栃木県史 通史編 6.近現代(1)』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982)
・『栃木県史 通史編 7.近現代(2)』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982)
・『宇都宮市内の河川について 第一編』(浜田秀雄/著 浜田秀雄 1960)
・『とちぎの河川』(栃木県土木部河川課/編 栃木県土木部河川課 1983)
・『鬼怒川・小貝川の舟運再発見』(鬼怒川・小貝川流域を語る会 舟運専門部会/編著 高田印刷 1999)
・『鬼怒川小貝川 水と暮らし』(鬼怒川・小貝川流域を語る会「水利用読本」編纂会議/編 高田印刷 2002)
・『鬼怒川・小貝川を遡る 流域の自然・文化・歴史』(栗村芳實/著 栗村芳實 2003)
・『角川日本地名大辞典 9 栃木県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1984
・『鬼怒川本流上流流域崩壊調査書 1』(栃木県土木部砂防課/編 栃木県土木部砂防課 1953)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 鬼怒川
- 絹川
- 衣川
- 地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141646