レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年05月14日
- 登録日時
- 2013/08/06 14:13
- 更新日時
- 2018/02/22 13:48
- 管理番号
- 312
- 質問
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解決
江戸時代の矢作橋の位置がわかる地図はないか。
- 回答
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【資料1】p454 大正2年(1914)に14代目、これまでの橋より約96メートル上流のところに架けられたとあり。
【資料2】解説編p8と9の間の頁 1806年完成の東海道分間延絵図の橋は、現在の橋より100メートル程下流に架かっていた。
【資料2】解説編p9 今の橋は大正2年に作られた橋であるが、天保14年(1843)の矢作橋より約20メートル下流にあった。
【資料3】p75 江戸末期の矢作川絵図があり、岡崎城が橋の左に描かれたのは、現橋より下流95メートルに架設していたためである。
【資料4】p35 14代目(大正2年)の橋は旧橋梁より53間(約96メートル)の上流に架設し・・・
【資料5】p89-94 大正2年の鉄橋は、旧橋より53間約96メートル上流・・・。15代目(昭和26年)の橋は、旧橋(大正2年)の25メートル下流・・・。矢作川の13代目(昭和23年)よりの位置図があり。
矢作橋は、寛政11年(1634年)に初めて架けられてから江戸時代には何度も架け替えが行われている。
【資料1】~【資料5】を踏まえ【資料6】【資料7】の明治の頃の地図と【資料5】の位置図で、寛政、天保時代の位置を推測する。【資料2】の絵図も参考に。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『新編岡崎市史 4 』新編岡崎市史編集委員会/編 199103 (AO233/シ)
- 【資料2】『東海道分間延絵図 第14巻 解説編 絵図編』 林英夫/解説 1982(A290/ト)
- 【資料3】『矢作川 川と人』 中部建設協会豊橋支所/編 1993 (AO517/ヤ)
- 【資料4】『矢作川』 愛知県豊田土木事務所/編 1991 (AO517/ヤ)
- 【資料5】『三十五年のあゆみ』 建設省中部地方建設局/編 1987 (A514/サ)
- 【資料6】岡崎 明治23年の二万分の一の地形図 大日本帝国陸地測量部/編
- 【資料7】地籍図 額田郡 八帖村 全体図[複製]
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000135126