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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000128775
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2012-253
事例作成日
(Creation date)
2013年01月23日登録日時
(Registration date)
2013年03月12日 16時05分更新日時
(Last update)
2013年05月31日 14時25分
質問
(Question)
ルイス・フロイスは永禄4年に堺の街を訪れたというが、その時の記述を読みたい。「日本史」に収められているか。
回答
(Answer)

永禄4年に堺を訪れた宣教師は、ガスパル・ヴィレラであり、フロイスが堺に到着したのは、永禄7年であるとの記述が見つかった。
 
関連する以下の資料の記述を紹介した。
『日本史』の調査
『完訳フロイス日本史 12 中公文庫』(ルイス・フロイス著 松田毅一訳 中央公論新社 2000)
 p258-284 「日本史」年表の関連する記述は次のとおり。
(ヴィレラ関連)
 永禄2年9月18日(1559年10月18日) 「ヴィレラの一行、堺に到着。」
 永禄4年7月(1561年8月)「ヴィレラ、日比屋了珪に招かれ、京都から堺に至る。」 フロイスの名前なし。
(フロイス関連)
 永禄6年6月16日(1563年7月6日) 「フロイス、日本に第一歩を印す。」
 永禄7年12月26日(1565年1月28日) 「フロイスら前日、堺に到着し、この日、堺を出発する。」

『完訳フロイス日本史 1 中公文庫』(ルイス・フロイス著 松田毅一訳 中央公論新社 2000)
 p38-46 第3章(第1部22章)「コスメ・デ・トルレス師がガスパル・ヴィレラ師と日本人修道士ロレンソおよびダミアンの三名を、都に入らせるために、比叡山に派遣した次第」あり。1559年9月5日から44日をかけて豊後から堺まで航海した様子について記述あり。
 p132-144 第11章(第1部35章)「司祭(ヴィレラ)がふたたび公方様を訪れ、そして都から堺の市へ伝道に赴いた次第」あり。
 p201-214 第17章(第1部56章)「フロイス師とアルメイダ修道士が豊後から堺へ、さらに同地から都へ旅行した次第」あり。

 
『日本史 キリシタン伝来のころ 1 東洋文庫 4』(ルイス・フロイス〔著〕 柳谷武夫訳 平凡社 1982)
 p242-250 第22章「三人がそこからみやこへはいれるようにぱあでれコスメ・デ・トルレスがぱあでれガルパール・ヴィレラ及び日本人いるまんロレンソとダミヤンとを比叡の山へ遣わした次第」あり。
『日本史 キリシタン伝来のころ 2 東洋文庫 35』(ルイス・フロイス〔著〕 柳谷武夫訳 平凡社 1982)
 p122-132 第35章「ぱあでれ(ヴィレラ)が別の時に公方様を訪問し、みやこから堺の町へ説教に赴いた次第」に、永禄4年に堺を訪れた際の記述あり。
この部分の注(p316)に「この章から第54章までに出るヴィレラの堺往還二回の旅の年代には、フロイスに多少の錯誤がある。これを正すとつぎのとおりになる。ヴィレラが堺へ行ったのは(本書124ページ及び第3巻)1561年8月、みやこへ戻ったのは(本書第3巻)1562年9月(中略)、すなわち1563年4月18日に再び堺へ行き(本書139ページ及び第3巻)、数週間後結城殿及び外記殿といっしょにみやこへ戻った(本書153ページ及び第3巻)」とあり。

『日本史 キリシタン伝来のころ 3 東洋文庫 65』(ルイス・フロイス〔著〕 柳谷武夫訳 平凡社 1966)
 p53-64 第56章「彼等(ぱあでれフロイスといるまんアルメイダ)が豊後から堺へ、それからみやこへ旅した次第」あり。

『日本史 3 五畿内篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1978)
 p38-48 第3章(第1部22章)あり。内容は中公文庫版と同じ。訳文がやや難解だが、文庫版では割愛されている註が多い。
 p138-151 第11章(第1部35章)あり。
 p213-226 第17章(第1部56章)あり。
 

「耶蘇会士日本通信」の調査
『異国叢書 1 耶蘇会士日本通信』(雄松堂書店 1966)
 p23-48「1561年8月17日〔永禄4年〕堺発、パードレ・ガスパル・ビレラより印度のイルマン等に贈りし書翰」あり。
 「右59年に予は道徳の事に付我等のイルマンに等しきロレンソと云う日本人と共に豊後を出発せり。」「某港に着きし時最初の同航者に遭ひしが、彼等は復諸船に勤め我等を堺の町に連れ行くべからずと説きしが、彼等一切の妨害に拘らず我等の主は聖ルカスの祭日(10月18日)に同所に着くことを嘉みし給へり。」
 p48 註にフロイス日本史よりの参照あり。
 p53-67「1562年(永禄5年)堺発、パードレ・ガスパル・ビレラより耶蘇会のパードレ及びイルマン等に贈りし書翰」あり。「1561年8月予は当堺に入りて我が聖教を説き始めしが」とあり。
 p176-205「1565年(永禄8年)2月20日付都発パードレ・ルイス・フロイスより支那及び印度のパードレ、イルマン等に贈りし書翰」あり。
 p204「予は1565年1月27日堺の町に到着し」とあり。

フロイスに関する資料の調査
『フロイスの見た戦国日本』(川崎桃太著 中央公論新社 2003)
 p13-16「フロイスの来日」の節に、「ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは1563年(永禄6年)西九州の横瀬浦に上陸した。」とあり。
 p16-19「九州から都へ」の節に、「(略)1564年の暮れか翌年の早々に豊後の港を出て、三日かけて伊予の国の堀江という港に到着した。(略)このように長く辛い四十日の船旅の末、ようやく目的地の堺に着くことができた。」とあり。

回答プロセス
(Answering process)
指定資料『日本史』(フロイス著)の確認を行い、宣教師の関係資料やフロイスの関係資料を調査した。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
キリスト教史.迫害史  (192 9版)
日本史  (210 9版)
参考資料
(Reference materials)
『完訳フロイス日本史 12』(ルイス・フロイス著 松田毅一訳 中央公論新社 2000)
『完訳フロイス日本史 1』(ルイス・フロイス著 松田毅一訳 中央公論新社 2000)
『日本史 キリシタン伝来のころ 1-3 東洋文庫』(ルイス・フロイス〔著〕 柳谷武夫訳 平凡社 1966-1982)
『日本史 3 五畿内篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1978)
『異国叢書 1 耶蘇会士日本通信』(雄松堂書店 1966)
『フロイスの見た戦国日本』(川崎桃太著 中央公論新社 2003)
キーワード
(Keywords)
Frois Luis(フロイス ルイス)
カトリック教会-日本-歴史-安土桃山時代
Vilera Gaspar(ヴィレラ ガスパル)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000128775解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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