レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年05月13日
- 登録日時
- 2012/11/10 10:04
- 更新日時
- 2012/11/18 11:52
- 管理番号
- 10-3A-201211-03
- 質問
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解決
藻井生々堂(ものいせいせいどう)について知りたい。
- 回答
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藻井生々堂(ものいせいせいどう)は、大阪市淀川区十八条にある旧家の薬商です。
『大阪史跡辞典』p594~595には、「『十八条血の道薬』で知られる藻井家の、まるで武家屋敷のような門構え、萩乱れ槇や楠、椿の古木暗茂する庭を見て、ここが繁華な三国だと誰が信じられるであろう。永禄三年(一五六〇)藻井光成がここへ移ってきて製薬をはじめたと伝えるだけの雰囲気は充分にある。建物は一度消失し、現存のものは二百六十年ほど前のもの。」とあります。「藻井家は『身代わり幸寿丸伝説』で知られる幸寿丸の父、藤原仲光の子孫という。」とあり、「幸寿丸が打首となった十二月二十三日は、今の暦では一月十八日だそうで、現在でも藻井家では毎年この日に追悼法要を催している。」とのことです。
「身代わり幸寿丸伝説」については、『わが町昔さが誌』p86~87にも、「身代わり幸寿丸」と題して、そのお話が載っています。
『YODOGAWA・KU史跡・旧跡ふれあいマップ』には、「当堂が秘伝とする『十八条血の道薬』は、産前産後の妙薬として知られます。この薬は、永禄3年(1560)、24代藻井介光(すけみつ)が調剤、施薬したもので、介光の先祖藤原仲光(なかみつ)は、主君源満仲(みなもとのみつなか)の息子美女丸を守るため、わが子幸寿丸を殺した『身代わり説話』で名高い方です。」とあります。
『大阪市史編集の100年』 p129~139には、「藻井家は淀川区十八条、江戸時代でいう摂津国西成郡十八条村に所在する旧家である。この家は大阪市域ではめずらしい、中世の文書を所蔵されていたことなどから、早くから注目されていた。」とあります。大阪市史編纂所で文書をお預かりして調査をしています。
また、藻井家に伝わる「助松屋文書」について、藻井泰忠氏が「助松屋文書」よりいくつか抜粋して『船場両替商の記録(抄)』という小冊子を書いておられます。江戸時代の大坂の両替商助松屋の記録です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 『大阪史蹟辞典』 三善貞司 清文堂出版1986 ISBN 4-7924-2341-4<当館書誌ID:0000214926>
- 『わが町昔さが誌』三善貞司 コミュニティ企画 1989 <当館書誌ID:0000341279>
- 『YODOGAWA・KU史跡・旧跡ふれあいマップ』淀川区コミュニティ協会・淀川区役所編 淀川区コミュニティ協会 1994 <当館書誌ID:0000413634>
- 『大阪市史編集の100年』大阪市史編纂所 大阪市史料調査会 大阪市 2002 <当館書誌ID:0010340495>
- 『船場両替商の記録(抄)』藻井泰忠 1979 <当館書誌ID:0080190109>
- キーワード
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- 大阪府大阪市淀川区
- 藻井生々堂
- ものいせいせいどう
- 十八条血の道薬
- 身代わり幸寿丸伝説
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000113860