レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/06/28
- 登録日時
- 2012/08/23 02:01
- 更新日時
- 2012/10/10 13:09
- 管理番号
- 6000008521
- 質問
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解決
江戸時代の大坂では、土地の所有権はどのようなものだったか。北野領・曽根崎領などの文字が古地図に見られるが、商家や借家人、諸藩の蔵屋敷は地代を誰に対して払っていたか知りたい。
- 回答
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商家を含む江戸時代の町人は幕府などから家屋敷や土地を下賜され、宅地税として地子銀を納めていたが、大坂においては寛永11年以降地子銀が免除されていた。借家人は、町人である家主に対して家賃を支払った。また蔵屋敷は、幕府が大坂における大名の土地所有を認めなかったため、名義上町人の所有となっていた。
- 回答プロセス
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216(歴史-大阪)の書架を探す。
『大阪府史 第六巻』(大阪府)p227に「大坂の街と町屋の家構」の項があり。p228に、寛永11(1634)年に幕府が懐柔策として地子銀(じしぎん)の永世免除を実施したとあり。また自分の家屋敷を所有する町人は江戸中期には大坂の住民の4割であり、あとの6割は借屋人が占めたとあり。
また『新修大阪市史 第三巻』(大阪市)p199に「大坂の特権都市化」の項があり。寛永11年の徳川家光による大坂・堺・奈良の地子銀免除について詳しい。なお、家屋敷売買の際、買主は売買価格の四十分の一を領主へ納めていたが、直轄地になってからは二十分の一を納めるよう引き上げられたとあり。しかしこれも寛永11年以降は町費財源のひとつとなったとのこと。またこの当時町家のなかった土地についても、寛永中期以降、豪商や豪農が無償で土地を下付され、家を建てたとの記述がp200にあり。万治3(1660)年にはこうした新町も地子銀免除となった。
さらに『国史大辞典6 こま-しと』(吉川弘文館)で「じし」を調べる。p741に項目あり。p742に、織田信長が京都で地子を免除して以降、宅地税の意で用いられるようになったとあり。
『国史大辞典9 たか-て』p636「ちょうにん」の項には、近世初頭、町人たちは家屋敷を与えられる代わりに賦役や貢租を課せられたとあり。
次いで大坂の町について調べるため、『まちに住まう 大阪都市住宅史』(平凡社)を見る。大坂の町の形成について詳しく、家屋敷を下賜された例などもあり。また蔵屋敷について述べた中に、幕府は大坂に大名が土地や屋敷を所有することを認めなかったため、名義上の蔵屋敷の所有者として諸藩は名代を置いたとあり。また同書の特別付録「浪花の繁栄」には、大坂三郷の範囲が色つきで示されている。
『大坂と周辺諸都市の研究』(清文堂)第3章「近世前期、都市域における土地権利」には、大坂の町を作る際の土地の買収や、明地・明屋敷の場合は地子銀免除の対象とならなかったことがどが記載されている。
このほか、『日本の歴史 十 江戸時代/十七世紀 徳川の国家デザイン』(小学館)p268「大坂を鳥瞰する」『史跡で読む日本の歴史9 江戸の都市と文化』(吉川弘文館)p50「徳川期大坂の城と城下町」にも、大坂の町が作られていった過程についての記載があり。
なお『町人の都 大坂物語 商都の風俗と歴史』(中央公論社)p12には「町民の構成」の項があり、大坂の町人がどのような人々であったかが記載されているほか、『近世史ハンドブック』(近藤出版社)p165には、近世の土地制度についての概説があり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 『大阪府史 第6巻』大阪府史編集専門委員会/編集(大阪府) (p228)
- 『新修大阪市史 第3巻』新修大阪市史編纂委員会/編集(大阪市) (p199)
- 『国史大辞典 6』国史大辞典編集委員会/編(吉川弘文館)
- 『国史大辞典 9』国史大辞典編集委員会/編(吉川弘文館)
- 『まちに住まう』大阪市都市住宅史編集委員会/編(平凡社)
- 『日本の歴史10』(小学館)
- 『史跡で読む日本の歴史 9』(吉川弘文館)
- 「町人の都大坂物語』渡辺 忠司/著(中央公論社)
- 『近世史ハンドブック』児玉 幸多/[ほか]編(近藤出版社)
- 『大坂と周辺諸都市の研究』中部 よし子/編(清文堂出版)
- キーワード
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- 大阪
- 歴史
- 土地
- 地子銀(ジシギン)
- 江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000110353