○平安時代の数学教育について概観した資料
ア.『「数」の日本史:われわれは数とどう付き合ってきたか』 伊達宗行/著 日本経済新聞社 2002.6
「第四章 平安、中世の数世界」(p.102-135)
で平安時代の貴族子女が受けていた数学教育について説明があります。
平安中期の「口遊(くちずさみ)」がテキストで、「これは当時の漢文学者で歌人でもあった源為憲が、当時七歳だった藤原為光の子、松雄のためにつくったテキストである。(中略)貴族のマスターすべき教科は、乾象門、時節、年代(中略)雑事の十九項目もあって七歳から習い始める(中略)その最後にある雑事門に算学が入っ」ていて、「そこには数の呼び方、名数法などがあり、(中略)万万を億という、などが出てくる。また、九章算術の初等コースの問題もあって、少なくとも加減乗除はできるように工夫されている。
口遊で最も有名なのは九九の表があること」とあります。(p.112)
平安時代の数学の人々の認識については、
「平安時代になって衰えた算学であるが、すでに述べたように掛算九九のような初等算術は少なくとも上流社会では常識」で、「数遊びが現れて、人々はそれを楽しむ風潮が出てきた。」とあり、これを推測できる文献が「二中歴」と紹介しています。(p.116)
残されている「二中歴」の写本は「室町時代のものであるが、どうも元は平安末期に書かれたらしく、当時の百科事典といったもの(中略)その中に数にかかわる遊びがいくつか入っている(中略)算学は面白くないが、数の遊びは結構皆が楽しんでいる、そんな時代であったらしい。」とあります。(p.116-117)
イ.『平安朝文学事典』 岡一男/編 東京堂出版 1977
「数学」(p.405-407)学令で指定された教科書の紹介や平安時代の実情を紹介する説話の紹介がされています。
○テキストについて
(ア.で紹介されたテキスト「口遊」について:逐語訳は見つかりませんでしたが、原文、解説を紹介します)
原文は
ウ.『続羣書類従 第32輯 上』 雑部 [塙保己一/編] 続群書類従完成会 1926
「口遊」(p.61-85)に収録されています。
エ.「国語と国文学 75(1)」, p.73-75, 1998-01
に金原 理/著 「幼学の会編『口遊注解』」が収録されており、「口遊」の構成が紹介されています。
オ.「数学セミナ- 19(5)」 p102-110, 1980-05
清水 達雄/著「口遊--平安朝少年百科-8完-」が収録されており、 「口遊」が解説されています。
カ.『日本数学史要』 藤原松三郎/著 勉誠出版 2007.6 昭和27年刊の復刻
にも、「第2章初期の日本数学/4.口遊」(p.22-23)が解説がされています。「口遊の雑事門の内に、掛算の九九、大数の名称、竹束問題、孕婦病人問題が収めてあり、之が数学に関係のある平安朝の唯一の文献である。」とあり、「掛算の九九、竹束問題、孕婦問題と病人問題」も解説されています。(p.23-27)
キ.『明治前日本数学史 第1巻』 日本学士院日本科学史刊行会/編 岩波書店 1954
にも、「第2章 飛鳥奈良および平安朝時代/第4節 口遊」が解説がされています。(p.154-157)
ク.『日本数学史 上:数学選書』 加藤平左エ門著 槙書店 1967
「第2章 平安期中期以後戦国時代まで/2.2この頃にみられる数学の文献」の中に「口遊」の解説がされています。(p.50-52)
(学令で指定された教科書について)
ケ.『日本数学教育史 奈良・平安,江戸』 和田義信/著 東洋館出版社 2007.6
「学令と数学教育 大学における数学教育」(p.22-55)で解説されています。
「学令において指定された算道の教科書は九章の他に、孫子、五曹、海島、六章、綴術、三開重差、周髀および九司である。このうち現在見ることのできるのは、孫子、五曹、海島と周髀である。(中略)周髀は暦算の書であり、数学の書であるとはいえない。」(p.41-42)ので、周髀を除く孫子、五曹、海島の考察が詳しくされています。
カ.『日本数学史要』
にも、「第2章初期の日本数学/1.養老令における数学」が解説が簡単にされています。(p.14-17)
ク.『日本数学史 上』
「第1章 王朝時代の数学(平安朝の中葉まで)/1.5 この頃道いられた算道教科書」(p.10-41)が解説がされています。
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