レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/02/17
- 登録日時
- 2011/07/12 02:01
- 更新日時
- 2012/07/04 10:44
- 管理番号
- 埼熊-2011-024
- 質問
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解決
百番塔に関して記述のある資料を探している。
百番塔とは百のお寺を訪ねたら建てる塔と聞いた(群馬県でのこと)。
百観音めぐりと関係があるか。
- 回答
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百科事典や仏教関係の事典ではこの名称は見えないが、『講座日本の巡礼 1』などに研究解説がある。西国・坂東・秩父の百観音巡拝を記念し供養したもので、東日本に多く、百番供養塔・百番巡拝塔などと呼ばれるものと同じもののようである。言い伝えはネット情報などにもある。
『講座日本の巡礼 1』(真野俊和編 雄山閣出版 1996)
p199-232「三山参りと札所巡礼-出羽三山信仰における重層習合の成因-」岡倉捷郎
西国坂東秩父の百番札所巡礼の巡礼塔として「百番塔」の名称で取り上げている。出羽三山との関連について、三山・百番塔に関しての論文となっている。
巡礼の開始から巡礼の様子、痕跡などについて記述されている。p225所沢の「百番・三山巡礼塔」の図あり。
『石仏調査ハンドブック』(庚申懇話会[ほか]共著 東京書籍 2001)
p255-256〈百番巡拝塔〉の項あり。14行の記述あり。三十三番巡拝塔などについての記述もある。
p53 図版あり。
『日野市史 民俗編』(日野市史編さん委員会 1983)
p264〈百番供養塔〉の項あり。
「西国三十三番・坂東三十三番・秩父三十四番計百か所の観音霊場の供養塔である。江戸時代には、この百番巡拝を行う人があらわれてくる。百番巡拝を記念し供養した塔は、天明三年(1783)の「奉納西国秩父坂東百番供養」をはじめとして、天保十五年(1844)まで四基現存する。ほかに馬頭観音の最古である安永九年(1870)の塔には「奉拝札西国三十三所霊場」とあり、文化元年(1804)の聖観音には「奉拝札日本百八十八箇所霊場」とある。前者は西国三十三所、後者は観音霊場百か所と四国八十八か所の巡拝塔である。」
(インターネット情報)
《Google》を〈百番塔〉で検索すると、158件ヒットする。そのうち2件を参照した。
・多摩のジョギング道-南秋川渓谷を辿る檜原数馬への道 百観音を巡礼した功徳が得られる
・1677.百番塔 巡礼したひとの記念で、行かない人にも功徳を
- 回答プロセス
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インターネット〈百番塔〉で検索すると多数ヒットする。
図書資料の調査では、百科事典、歴史辞典、国語辞典、仏教関係の事典、巡礼に関する一般書、石碑・石塔に関するものを見るが、〈百番塔〉についての記述を見つけられず。
《Googleブックス》を〈百番塔〉で検索した結果、回答で紹介した資料がヒットした。〈百番塔〉の他に〈百番供養塔〉〈百番巡礼等〉という記述も見えた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏会 (186 9版)
- 参考資料
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- 『講座日本の巡礼 1』(真野俊和編 雄山閣出版 1996)
- 『石仏調査ハンドブック』(庚申懇話会[ほか]共著 東京書籍 2001)
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『日野市史 民俗編』(日野市史編さん委員会 1983)
- キーワード
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- 巡礼(仏教)
- 石仏
- 718
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000088357