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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000076663
提供館
(Library)
島根県立図書館 (2110035)管理番号
(Control number)
6000002321
事例作成日
(Creation date)
2007/11/20登録日時
(Registration date)
2011年01月17日 02時01分更新日時
(Last update)
2011年01月20日 17時22分
質問
(Question)
19世紀中頃、イギリスの東インド会社の船(帆船)でロンドン~東インド(東インド会社の拠点だった場所:カルカッタなど)まで、喜望峰回りでかかった日数を知りたい。
回答
(Answer)
当館所蔵資料より以下を紹介。
資料1:p32~33「クリッパー船の時代」には、東インド会社の船というわけではないが、1860年代、中国からイギリスに多くの茶を運んだティー・クリッパー船は、中国からロンドンまで速い船で「3か月」はかかったとある。また、「福州、広州―喜望峰―ロンドン」のルートで「89~113日」かかった記述もある。
同じく【資料1】のp166~167「快速を競った二大帆船カティ・サークとサーモピレー」では、中国の上海、福州で積みこまれたお茶は、アフリカ南端の喜望峰回りでロンドンへ運ばれ、1872年、イギリスのクリッパー船「カティ・サーク」と「サーモピレー」が上海からロンドンへ向かい、その速さを競った話がある。結果、サーモピレーは「108日目」、カティ・サークは、舵が壊れるなどして1週間遅れの「115日目」に到着とある。
資料3:ティー・クリッパーのカティ・サークが上海を出航し、110日でロンドンへ到着した話。
資料4:p285~286「クリッパーの時代」には、1860年代のクリッパー・シップは「19世紀前半には、中国から英国までの航海に109日間というのが最高の速力だったが、1850年代には96日間、1860年代には90日間まで記録が更新された」とある。p286~289「ティー・クリッパー出現の背景」ロンドン東インド会社はインド貿易を独占しており、同社船の改良をする気持などなく、イギリスから中国まで片道に18ヶ月もかけるほどのんびりした航海で、長ければ2年近くもかかる航路だったとの記述あり。
資料7:1770年前後におけるヨーロッパ諸国の植民地、本国へ送られた主な植民地産品の品目、またその航路などが示してある。

<2010/9/21追記>
・資料2:イギリスが支配した航路あり。
・資料5:中国(広東or上海)~イギリス(ロンドンorリバプール)の所要日数が表になっており、イギリスの快速帆船では、104~113日かかっている。
・資料6:p142には、1850年にアバディーンで建造された<ジョン・バンヤン>は上海から99日、p147には、<サー・ランスロット>は、1867年と1869年に帰航の最短記録を出し、福州からロンドンまで89日で入るという記録を樹立したとの記述あり。
・〔蒸気船 Steam Ship:蒸気船が英国からインドまで喜望峰経由で遠距離航海に挑戦したのは1825年だった〕 http://blogs.yahoo.co.jp/takamino55/18485175.html (最終確認2010/9/16)より、「アフリカ周りの喜望峰ルートは、東インド会社が19世紀初めによく使用した。(中略)東インド会社の帆船が英国とインドを喜望峰ルートで往復すると、当時はおよそ2年の歳月を必要とした」とある。
回答プロセス
(Answering process)
(1)自館OPACで「イギリス東インド会社」「航海」「航路」「帆船」等で検索。また、イギリス史(233)、船、帆船(550、552、556)の書架を直接あたり調査。以下の資料には、日数の記述なし。
・『東インド会社』(講談社,1989)
・『イギリス東インド会社とインド成り金』(ミネルヴァ書房,2001)
・『帆船』(朝日ソノラマ,1976)
・『蒸気船』(毎日新聞社,1977)

(2)インターネットで、キーワード「帆船」「喜望峰」で検索したところ、日数の記載がある該当ページ1件ヒット。

<参考>〔Wikipedia:イギリス東インド会社〕 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE (最終確認 2010/9/20)より、
イギリス東インド会社・・・厳密には「イギリス東インド会社」という一つの会社組織が存在した訳ではなく、ロンドン東インド会社(旧会社)、イングランド東インド会社(新会社)、合同東インド会社(合同会社)という三つの会社の総称である。17世紀から19世紀半ばにかけてアジア貿易の独占権を認められ、各地の植民や交易に従事。インドにおける会社の大拠点はカルカッタ、マドラス、ボンベイ。1858年、インド大反乱(シパーヒーの乱)によってインドの支配権をヴィクトリア女王に返上し、1874年に解散。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
各種の船舶.艦艇  (556 8版)
海洋工学.船舶工学  (550 8版)
船体構造.材料.施工  (552 8版)
参考資料
(Reference materials)
船,青木 栄一/共編,小学館,1978, (1978 p32~33「クリッパー船の時代」、p166~167「快速を競った二大帆船カティ・サークとサーモピレー」 【資料1】)
コンパクト版 世界歴史地図,朝日新聞社,1984, (1984 p100~101「ヨーロッパの帝国主義1815~1914」 【資料2】)
大帆船時代,杉浦昭典/著,中央公論社,1979, (1979 p117~123 【資料3】)
帆船史話,杉浦昭典/著,舵社,1978, (1978 p285~286「クリッパーの時代」、p286~289「ティー・クリッパー出現の背景」 【資料4】)
船の世界史,上巻,上野喜一郎/著,舵社,1980, (1980 p159「表-5 ティー・クリッパーの航海成績(1852年)」 【資料5】)
帆船6000年のあゆみ,ロモラ アンダーソン/著,成山堂書店,1999.7, (1999 p141~157「帆船時代の終焉」 【資料6】)
週刊朝日百科世界の歴史,87,朝日新聞社/編,朝日新聞社,1990, (1990 pB-560~561「1770年頃の植民地と貿易」【資料7】)
キーワード
(Keywords)
ケープタウン(ケープタウン)
クリッパー(クリッパー)
イギリス東インド会社(イギリスヒガシインドガイシャ)
喜望峰(キボウホウ)
航海(コウカイ)
帆船(ハンセン)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
言葉
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000076663解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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