レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/11/08
- 登録日時
- 2010/04/07 02:00
- 更新日時
- 2010/04/22 11:34
- 管理番号
- 埼熊-2009-064
- 質問
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解決
保科弾正正俊の生没年、子や孫にどんな人がいたかを知りたい。
- 回答
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保科弾正正俊は、武田信玄・勝頼に従い軍功が多かった武将で1511(永正8)年生、1593(文禄2)年8月6日没。
子には正直(高遠城主。徳川家康に臣従し、上田城の真田氏攻めや小田原攻めにも加わった)、孫に正光(譜代高遠藩主)・正重・正貞(譜代飯野藩主)・氏重がいる。
また、孫正光の養子が保科正之(徳川秀忠の子、後に会津藩主)である。
- 回答プロセス
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所蔵する人名辞典、系図資料、《WHOPLUS》を調査する。
『日本古代中世人名辞典』(吉川弘文館 2006)
p897〈保科正俊(ほしなまさとし)〉の項あり。「1511-93」とある。17行程の記述あり。
『寛政重修諸家譜 新訂 第4』(続群書類従完成会 1964)
p353〈正俊〉の項あり(系図形式)。6行程度の解説で「文禄二年八月六日死す。年八十三。」とある。
子の名は「正直(まさなを)」、詳細な記述あり。孫の名は「正光(まさみつ)」、詳細な記述あり。「正重(まさしげ)」。「正貞(まささだ)」 詳細な記述あり。「氏重(うぢしげ)」。この他に女子4名あり。
『寛永諸家系図伝 第3』(続群書類従完成会 1980)
p218〈正俊(まさとし)〉の項あり(系図形式)。「文禄二年、死去。八十三歳」とあり。子の名は「正直(まさなを)」 詳細な記述あり。孫の名に「正光(まさみつ)」 詳細な記述あり。「正重(まさしげ)」。「正貞(まささだ)」 詳細な記述あり。「氏重(うぢしげ)」。この他に女子3名あり。
『日本史諸家系図人名辞典』(講談社 2003)
p573-574〈保科氏〉の項あり。正俊を含む系図あり。
p574〈保科正俊(ほしな・まさとし)〉の項あり。7行程の記述あり。「永正8年生まれ」「文禄2年8月6日死去」とある。
子「正直(まさなお)」孫「正光(まさみつ)」「正貞(まささだ)」の名あり。
『江戸時代全大名家事典』(東京堂出版 2008)
p1039-〈松平(保科)家〉の項あり。「正俊」、子の「正直」、孫「正光」ほか詳細な記述あり。
p1040「松平(保科)家略系図」あり。
『日本家系・系図大事典』(東京堂出版 2008)
p937-939〈ホシナ(保科、星名、保志奈)〉の項あり。系図あり。
『高遠町誌 上巻 〔1〕 歴史』(高遠町誌刊行会 1983)
p391、p401に「保科正俊」。
p409、p421に子の「正直」。
p505-512に孫の「正光」についての記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『日本古代中世人名辞典』(平野邦雄 吉川弘文館 2006)
- 『寛政重修諸家譜 新訂 第4』(続群書類従完成会 1964)
- 『寛永諸家系図伝 第3』(続群書類従完成会 1980)
- 『日本史諸家系図人名辞典』(小和田哲男 講談社 2003)
- 『江戸時代全大名家事典』(工藤寛正 東京堂出版 2008)
- 『日本家系・系図大事典』(奥富敬之 東京堂出版 2008)
- 『高遠町誌 上巻 〔1〕 歴史』(高遠町誌刊行会 1983)
- キーワード
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- 保科 正俊(ホシナ マサトシ)
- 武士-戦国時代-江戸時代
- 保科氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000065806