(1)放火事件について
『金閣炎上』水上勉(参考資料1)
「あとがき」に“私は犯人の林養賢君と縁も深かったし,在所も近かったので,
彼がなぜ金閣に放火したか,そのことを,つきつめて考えたかった。(中略)事件
当日,西陣署から犯人逮捕に向われて,林を署に連行し,拘置所までおくられた
若木松一氏(のち西陣署長)の保存されていた「金閣寺一件」なる分厚い回顧録と
資料は,本篇の中心となった。”とある。
『群像』1997年1月号p.344~375「「金閣寺」-放火論(四) 多田道太郎」
金閣寺放火事件を題材とした三島由紀夫の『金閣寺』と水上勉の『金閣炎上』を
取り上げて論評している。
『文芸春秋』2005年8月号p.332~343「金閣寺放火事件 青年僧はなぜ?
「美への嫉妬」という言葉の陰に潜むものとは 柳田邦男・玄侑宗久・斎藤環」
三島由紀夫や水上勉の文学的解釈から離れ,原点から犯人の林養賢について分析を
行った対談。
『朝日新聞縮刷版<復刻版>昭和25年5~8月』(参考資料2)
昭和25年7月3日(2面)「金閣寺全焼す」,4日(3面)「金閣放火の責負い林の
母親が自殺」(4面)「金閣寺雑記 池田亀鑑」等事件関連記事がある。
(2)金閣寺再建について
『金閣と銀閣』(参考資料3)
p.74~「舎利殿(金閣)」の項に“再建に際しては,実測図をもとに細部に
いたるまで厳密に復原され,焼失した建物のうち,後世に改修された部分も,考証に
よって創立当初に近い姿に復原されているから・・・”との記述がある。
『金閣寺・銀閣寺』(参考資料4)
p.9~10に再建作業の記述がある。後世に改修され,再建時に復原した部分の
説明がある。
『日本名建築写真選集 11 金閣寺・銀閣寺』(参考資料5)
p.100~109「金閣の復原」焼失後の再建が必ずしも創建時の復原ではないことを
江戸期,明治期の修理記録等を基に説明している。
(3)再建前と再建後の写真
並べて比較したものは見つからなかった。
再建前の写真が掲載されているものには次の資料がある。
『京都百年パノラマ館』(参考資料6)
p.59「金閣寺」(撮影時期については記されていない)p.60~61「金閣寺
金閣の二階に向けて高い橋(渡り廊下)がかかった時代の珍しい写真。」の2点が
掲載されている。
着色写真と思われる。
『写真集明治の記憶』(参考資料7)
p.41「金閣寺」の1点掲載されている。撮影時期は記されていない。
モノクロであまりはっきりと写っていない。
『調べ学習日本の歴史 4 金閣・銀閣の研究』(参考資料8)
p.13「焼失前の金閣 1940年ごろ。」の一点が掲載されている。モノクロ。
焼失を知らせる毎日新聞の号外の記事(部分)も掲載されている。