レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年02月01日
- 登録日時
- 2009/02/03 01:25
- 更新日時
- 2010/04/21 14:06
- 管理番号
- 10-3B-200901-09
- 質問
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解決
小松帯刀(こまつたてわき)が大阪に創立した病院について知りたい。
- 回答
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明治二年二月、大阪府知事後藤象次郎と薩州小松帯刀が、
上本町8丁目寺町の大福寺(現天王寺区)に浪華仮病院及び医学校を創立した。
院長は緒方惟準(おがたこれよし) (洪庵二男)。
その後、大阪府病院、大阪府医学校病院と変遷して、現在の大阪大学医学部につながっている。
- 回答プロセス
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1.当館所蔵関連資料を調査
①下記3点の資料は、当館予約多数のため、内容を確認できず。
「小松帯刀の功績 : 明治維新の推進者 : 明治維新秘史小松帯刀小伝」(瀬野富吉,1982)
「龍馬を超えた男小松帯刀」 (原口 泉/著 グラフ社,2008.4)・
「維新の系譜 : 家に、国に、命を尽くした薩摩藩・三人の功臣たち」(原口 泉/著 グラフ社,2008.12)
②「東区史 4 文化篇」 (p136)に記載あり。
「明治二年二月大阪府知事後藤象次郎及び薩州小松帯刀相謀って八丁目寺町の大福寺に浪華仮病院及び医学校を創立した。」
院長は緒方惟準(おがたこれよし) (洪庵二男)。
③「新修大阪市史 第五巻 近代Ⅰ」第5章に「医学伝習の始まり」「大阪府医学校病院」という項あり。(p683~686)
明治元年12月に、大阪府仮病院が開設(場所は鈴木町代官屋敷跡(現中央区法円坂2丁目)と推定)。
修築のため、上本町8丁目寺町の大福寺(現天王寺区)に発足。
明治2年7月19日、大阪府病院が鈴木町代官屋敷跡に修築竣工。同11月には西隣に医学校病院が開校。
明治3年2月、大阪府医学校病院は大学校の管轄となった。
④「船場の医者-大阪市東区医師会三十周年記念誌-」(大阪市東区医師会,1982.4)の「東区明治の医者たち」(p97-133)にも記載あり。
2.インターネットで調査
① 大阪大学総合学術博物館「大阪近代黎明期の西洋諸科学との交流」サイトによると、
この病院は変遷を経て、現在の大阪大学医学部に発展したとのこと。
明治2年6月に、仮病院から新病院に移転、11月に大阪府病院を拡張し、大阪府医学校病院が開設されているとの記載あり。
変遷の年表あり。場所の変遷についても、地図上に記されている。
② Ginii 学術コンテンツポータルで検索、キーワード“大阪仮病院”で、下記2件が見つかる。 当館所蔵あり。
ア.「適塾アーカイブ : 貴重資料52選 : 写真集」(大阪大学出版会, 2002.11)
5 適塾その後-大阪仮病院・大阪医学校(p39-40) に、講義録等の図版あり
イ. 「緒方洪庵の息子たち」(西岡まさ子著 河出書房新社, 1992.3)
小説作品だが、「第4章 大阪仮病院院長になる洪哉」、「第5章 大村益次郎を手術する洪哉」という章があり、
記述のもとになった文献も紹介されている。
③ “大阪”ד病院”ד明治”のキーワードで検索すると、下記論文が見つかり、PDFで公開されている。
ウ. 菊池 重郎 明治初年の大阪における病院建築について特に城内の大阪軍事病院の建築.
学術講演梗概集. 計画系 · Vol.58, No.建築歴史・建築意匠(19830901) pp. 2583-2584. 社団法人日本建築学会.
大阪府医学校病院についても記載あり。
④ googleで “小松帯刀”ד仮病院”で検索。
千葉医療センターニュースの連載「Anectoda-隠れた史実-」(18)を見つける。
「新政府内に医学校兼病院建設の発議があり、明治2年8月、越前松平春嶽(しゅんがく)(慶永)を大学別当兼侍読とし、
後藤象次郎・小松帯刀幹事となり、大阪大福寺に、医学校兼病院の前身として大阪医学院(仮病院とも)が開設された。」とのこと。
⑤ 大阪府公文書館所蔵資料検索システムを調査
“大阪府病院”、“浪華”ד病院”、“仮病院”で検索するも有用なものなし。
⑥ 東京大学史料編纂所データベース を調査
“大阪府病院”、“浪華”ד病院”、“仮病院”で検索するも有用なものなし。
⑦ 大阪市立大学近世資料横断検索 を調査
“病院”、“小松帯刀”、“小松清廉”で検索。
“小松帯刀”では、1件資料があるが、小松帯刀に宛てた文書で今回の質問内容には関連はなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学 (490 9版)
- 参考資料
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「東区史 4 文化篇」 大阪市東区役所,1941<当館書誌ID:0080249908>
「新修大阪市史 第5巻」大阪市 1991.3<当館書誌ID:0000215623> -
大阪大学総合学術博物館「大阪近代黎明期の西洋諸科学との交流」
http://www.museum.osaka-u.ac.jp/jp/event_content/encaenia-2003-panel/18/18.html (2009.1.30確認) - 「適塾アーカイブ : 貴重資料52選 : 写真集」(大阪大学出版会, 2002.11)
- 「緒方洪庵の息子たち」 西岡 まさ子/著 河出書房新社,1992.3 ISBN 4-309-22216-1 <当館書誌ID:0000258085>
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菊池 重郎 明治初年の大阪における病院建築について特に城内の大阪軍事病院の建築.
学術講演梗概集. 計画系 · Vol.58, No.建築歴史・建築意匠(19830901) pp. 2583-2584. 社団法人日本建築学会 - 「船場の医者-大阪市東区医師会三十周年記念誌-」 大阪市東区医師会,1982.4<当館書誌ID:0070117950>
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「東区史 4 文化篇」 大阪市東区役所,1941<当館書誌ID:0080249908>
- キーワード
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- 小松帯刀
- こまつたてわき
- 大阪府病院
- 緒方惟準
- 大阪府医学校病院
- 浪華仮病院
- 大阪府仮病院
- 大福寺
- 大阪府大阪市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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大阪市建設局HP 歴史の散歩道 -大阪市史跡連絡遊歩道- 上町台地北コースに浪華仮病院跡も紹介されている。
http://www.city.osaka.jp/kensetsu/miryoku/rekishi/uekita/p56.htm (2009.2.2確認)
小松帯刀(こまつ‐たてわき)(1835‐1870)
幕末-明治時代の武士,官僚。薩摩(さつま)鹿児島藩士。家老となり,大久保利通らと藩政改革を推進。慶応2年(1866)西郷隆盛とともに,木戸孝允(たかよし)らとの間で薩長同盟をむすぶ。維新後は新政府の総裁局顧問などに就任,大久保らと版籍奉還も画策した。
「日本人名大辞典」より抜粋
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000051331