レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年10月10日
- 登録日時
- 2009/01/12 11:56
- 更新日時
- 2009/07/08 15:00
- 管理番号
- 中央-1-00006
- 質問
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未解決
浅草にあった岩槻藩の上屋敷は、戊辰戦争(上野戦争)のときに消失したとか。その原因を知りたい。新政府軍に焼き討ちにあったのか、もしくは上野戦争のあおりでもらい火だったのか、まったく別の理由によるものなのか知りたい。
- 回答
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「岩槻市史 近世史料編 3 藩政史料上」に、主任編集委員の 大村進さんという方の「編さんにあたって」という文章があり、史料の追跡が困難というくだりで「最後の藩主で、しかも在藩期間の最も長かった大岡氏においても、明治維新期の居邸の火災や版籍奉還・廃藩置県を頂点とする一連の政治改革で変転し、史料を焼亡・散逸しており、藩士についても同様である。このため歴代藩主及び藩政・藩政機構、家臣団構成、藩領など基本的研究の蓄積が乏しい現状にある。」とある。「岩槻市史 近世史料編 3 藩政史料下」p511 6行~は、幕末期の史料について説明するくだりで、「…ことにこの史料には東山道総督の江戸入国時の帰順の模様や治安取締りに関する出兵状況などが記録されており、あわただしい当時の岩槻藩の動向を知るうえで注目される史料である。ただし、大岡氏は『明治二年四月、東京の居邸が消失した』際、書類も残らず焼けたため、確かなことは不分明だと述べているので、これらの史料はおそらく岩槻に残されていたのかもしれない」とあった。
また、「岩槻市史 近世史料編 3 藩政史料下」p614上段~「戊辰二月四日御達有…」ではじまる文書に「旧藩地取調申遣候得共、明治二年四月中東京居邸焼失仕候節…」と続く。しかし、この記述だと、上野戦争とは関係のない火事と考えられ、「明治ニュース事典」や「新聞集成明治編年史」を確認したが、「焼失」についての記事を探すことはできず、火災の原因については不明。『東京市史稿』も確認したが、岩槻藩邸の火災についての記述は見つけられなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
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- 岩槻市史 近世史料編 3-〔上〕 岩槻市役所
- 岩槻市史 近世史料編 3-〔下〕 岩槻市役所
- 明治ニュース事典 1 明治ニュース事典編纂委員会/編集製作 毎日コミュニケーションズ
- 新聞集成明治編年史 第1巻 中山 泰昌/編著 財政経済学会
- 東京市史稿 市街篇第1 東京市役所/編 臨川書店 1993.9
- キーワード
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- 岩槻藩
- 江戸藩邸
- 戊辰戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000050626