レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/02/22
- 登録日時
- 2007/11/11 02:10
- 更新日時
- 2009/08/17 10:28
- 管理番号
- 10-3A-200602-01
- 質問
-
解決
北浜にあった日本ホテルの場所の正確な位置をを知りたい。
漢学者 後藤松陰の晩年の住居が幕末の大阪にあって、木崎愛吉著『篠崎小竹』にその住居が「今の北浜5丁目日本ホテル」の位置とある。それが正確には何処なのか。
- 回答
-
『大阪地籍地図』1巻「東区及接続町村之部」(p.5)に「日本ホテル」と明示あり。
現在の中央区北浜4丁目4-12附近にあたる。
- 回答プロセス
-
『篠崎小竹』p.93 に「梶木町御霊筋西南角(当時北浜五丁目旧日本ホテル敷地)に移居す」とあり、1924年には既に存在しない。
『新修大阪市史』10巻(索引)より同4巻p.650に前著を典拠としたと思われる同様の記述あり。
『角川日本地名大辞典』第27巻の「梶木町」の項より、土佐堀通から1本南の東西の通りであることがわかる。
『大阪古地図集成』14図「改正増補国宝大阪全図」より、”カジキ町””ゴリヤウ筋”で位置を特定。
1枚ものの地図『東区』(昭文社、1987刊)で、北浜5丁目”シティバンク”の場所で位置を特定。
『大阪地籍地図』1巻「東区及接続町村之部」p.5で上記と同じ地点に「日本ホテル」と明示あり。
北浜5丁目は平成元年(1989年)2月13日東区と南区の合区の際に町名変更され、現在の中央区北浜4丁目4-12附近にあたる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
-
「角川日本地名大辞典」第27巻 角川書店 1983年 <当館書誌ID:0000184865>
「大阪古地図集成」玉置 豊次郎編 大阪都市協会 1980年 <当館書誌ID:0000253373>
「東区」昭文社、1987刊<当館書誌ID:0011203283>(1枚ものの地図)
「大阪地籍地図」1巻 吉江集画堂地籍地図編輯部 1911年<当館書誌ID:0080237672> - 「篠崎小竹」木崎 愛吉/著 玉樹香文房,1924<当館書誌ID:0000520898>
- 「新修大阪市史」10巻<当館書誌ID:0000588399>・4巻<当館書誌ID:00225760>
-
「角川日本地名大辞典」第27巻 角川書店 1983年 <当館書誌ID:0000184865>
- キーワード
-
- 北浜
- 日本ホテル
- 大阪府大阪市北区
- 後藤松陰
- 篠崎小竹
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
後藤松陰(ごとうしょういん) 1797‐1864
江戸時代後期の儒者。生地の美濃(みの)(岐阜県)大垣で菱田毅斎(ひしだ‐きさい),ついで頼山陽(らい‐さんよう)にまなぶ。文政3年大坂で塾をひらく。詩文をよくした。妻は篠崎小竹の娘,町(麻池)。
篠崎小竹(しのざきしょうちく) 1781‐1851
江戸時代後期の儒者。大坂の人。篠崎三島(さんとう)にまなび,その養子となる。江戸で尾藤二洲(びとう‐じしゅう),古賀精里(せいり)にまなび,帰坂後,家塾梅花書屋をつぐ。詩文,書にすぐれ,頼(らい)山陽らとまじわった。蔵書家としても知られた。
「日本人名大辞典」より 抜粋
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000039208