レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年06月30日
- 登録日時
- 2022/07/05 16:31
- 更新日時
- 2022/07/15 20:54
- 管理番号
- 県立長野-22-054
- 質問
-
解決
現伊那市高遠町における土地登記簿から小字が廃止された時期、経緯を知りたい
- 回答
-
1.土地登記簿の「土地の表示」方法の定めと現伊那市高遠町に係る現行の土地の表示等について
土地台帳や土地登記簿謄本の土地の表示に関連する以下の法令、市町村合併等により字の名称、区域が変更される場合などにおいての「土地の表示」についての一般的取扱い、土地台帳と不動産登記の制度の制定、改正の経緯、違い等を当館所蔵資料等から調査した結果、現伊那市高遠町の不動産登記に小字の表記がない理由としては、伊那市と高遠町などが合併した平成18年3月31日付けで、伊那市が定めた旧高遠町に係る字が「高遠町〇〇」であり、法務局は法令に従って、伊那市が定めた字名により土地登記簿の土地の表示を行い、登記簿謄本の交付を行っていることが考えられる。
それらの調査結果は下記のとおり。(【 】内は当館請求記号)
<調査法令>
・ 昭和22年3月31日公布「土地台帳法」(昭和22年法律第30号)『官報』 1947年3月31日
・明治22年3月22日公布「土地台帳規則」(明治22年勅令第39号) 『官報』 1947年3月23日
・昭和25年7月31日公布「土地台帳法施行細則」昭和25年法務府令第88号、以下「台帳法施行細則」という。) 『官報』 1950年7月31日
・昭和22年4月16日公布「地方自治法」(昭和22年法律第67号) 『官報』 1947年4月17日
・明治32年2月23日公布「不動産登記法(明治32年法律第24号、以下「旧登記法」という。)『官報』 1889年2月24日
・明治32年5月12日公布「不動産登記法施行細則(明治32年司法省令第11号、以下「旧登記法施行細則」という) 『官報』 1889年5月12日
・昭和35年8月5日公布「不動産登記令」(昭和35年政令第228号、以下「旧登記令」という。) 『官報』 1960年8月5日(本紙 10087号) (当館契約データベース「官報情報検索サービス」にて確認)
・平成16年6月18日公布「不動産登記法(平成16年法律第123号、以下「新登記法」という。)『官報』 平成16年6月18日(号外 第130号) (当館契約データベース「官報情報検索サービス」にて確認)
・平成17年2月18日公布「不動産登記規則」(平成17年法務省令第18号)『官報』 平成17年2月18日(号外 第32号) (当館契約データベース「官報情報検索サービス」にて確認)
記
〇 「大字」及び「字」について
『新登記用語事典』 神崎満治郎編 六法出版社 1994.8 【324.86/コミ】 p.2 によれば、「字には、大字と小字があるが、これらを総称して字という。字とは行政区画たる市町村の区域内の一部の地域をいう。」との記述があり、また、字の区域、名称等の変更にあっては、地方自治法第260条が根拠法令となる旨の記述がある。また、p.88には「土地の登記簿の所在は、郡、誌、町村、字をもって表示されている(旧登記法第78条第1項)。これら行政区画又は字の名称の変更があった場合は、告示などによって公知のものであるから、その変更の登記をするまでもなく変更したものと看做す(同法第59条)」との記述があり、「登記簿の謄本等は、新行政区画、新名称を用いて作成・公布するものとされる。」との記述がある。
〇 地方自治法施行以降における「字」の区域、名称の変更手続き等について
地方自治法第260条は、施行後6回改正(昭和22年12月12日法律第169号、昭和35年6月30日法律113号、昭和39年7月11日法律169号、昭和44年3月25日法律2号、平成12年6月7日法律111号、令和平成23年8月30日法律105号) (当館契約データベース「D1-Law 現行法規 地方自治法第260条にて確認) があるが、高遠町の合併が行われてきた昭和31年から平成18年までの期間の同条の内容は、概ね「市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し、若しくは廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出」るとされ、「届出を受理したときは、都道府県知事は、直ちに告示」するとされていた。
以上ことから、上記期間においては、「区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し、若しくは廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするとき」は当該市町村が定めることになる。
〇 市制町村制の施行及びこれに伴う長野県内での字制度の適用等について
以下の資料により、明治22年4月の町村制度の施行に伴い、長野県内の地租に関する書類については、土地の表示を、「新町村名+大字名(=旧町村名。若しくは適宜の文字)+地番号」とする通知が出たことが確認できる。
・「市制町村制」(明治21年法律第1号) 『官報』 1888年4月25日 及び 『全国市町村名変遷総覧』 市町村自治研究会監修 日本花序出版 2006.8 【291.03/ニホ】 「編集にあたって」 p.2 によれば、市制町村制は明治21年4月25日に公布され、明治22年4月1日から施行されたことが確認できる。
この市制町村制の施行に伴い公布された長野県令に関して、『長野県報 明治22年1-12月県令第1-93号』 長野県 県令第18号には、「従来の町村を分合し其区域別冊之通来る四月一日より編成す 但旧町村名は大字とす 明治22年3月19日 長野県知事木梨精一郎」との記述があることから、明治22年4月1日から長野県に「大字」が導入されたことが確認できる。
『長野県報 明治22年1-12月訓令第1-276号』 長野県 訓令第135号によると、「県令第18号を以て新町村区域編成候に就ては地租に関する諸帳簿取扱方左の通り心得べし 明治22年4月5日 長野県知事木梨精一郎 分合町村地租に関する諸帳簿取扱手続 第1条数町村を合して一町村とせられたるもの地番号は旧町村名の頭字若くは適宜の文字を冠し何の何番とすべし」との記述が確認できる。
〇 明治22年4月1日現在の、現伊那市高遠町の町村名、大字名について
上記『長野県報 明治22年1-12月県令第1-93号』 県令第18号 別冊 によれば、現伊那市高遠町に係る当時の新町村区の「新町村名」、「旧町村名(=大字名)」は、以下のとおり。
新町村名 旧町村名
河南村 勝間村
上山田村
下山田村
小原村
高遠町 西高遠町
東高遠町
藤澤村 藤澤村
長藤村 長藤村
三義村 芝平村
荊口村
山室村
『信州ふるさと変遷史 新版 県下81市町村のルーツと現在』 松橋好文原編 一草舎出版 2006 【291.52/ナガ】 p.80-82によれば、これらの町村の区域は昭和31年4月まで変更はない。
〇 現伊那市高遠町の合併経過について
以下の資料によれば、現伊那市高遠町の旧町村は、昭和31年9月30日、昭和33年4月1日、昭和39年4月1日及び平成18年3月31日の合併を経て、現在の伊那市の行政区域内の区域となったことが確認できる。
・『信州ふるさと変遷史 新版 県下81市町村のルーツと現在』 p.80-82
・『長野県報 昭和31年告示1月-12月』 長野県 掲載の「昭和31年10月1日長野県報告示」によると、「昭和31年長野県告示第524号 地方自治法第7条第1項の規定により、上伊那郡高遠町、長藤村及び三義村を廃し、その区域をもって新たに高遠町を置き、昭和31年9月30日から施行した。」との記述がある。
・『長野県報 昭和33年告示1月-5月』 長野県 掲載の「昭和33年4月7日長野県報告示」によると、「昭和33年長野県告示第134号 地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、上伊那郡藤沢村を廃し、その区域を同郡高遠町に編入し、昭和33年4月1日から施行した。」との記述がある。
・『長野県報 昭和39年公告4月-12月』 長野県 掲載の「昭和39年4月1日長野県報公告」によると、「地方自治法第7条第1項の規定により、上伊那郡河南村を廃し、その区域を同郡高遠町に編入する処分は、昭和39年4月1日から施行された。」との記述がある。
〇 現伊那市高遠町の合併に際しての、告示、ホームページでの大字、字に関する記述等について
昭和31年9月30日の高遠町、長藤村、三義村の合併に際しての、「昭和31年10月4日長野県報告示」(『長野県報 昭和31年告示1月-12月』) によると、「昭和31年長野県告示第551号 地方自治法第260条第1項の規定により、上伊那郡高遠町の字の区域を次のとおり確定し、昭和31年9月30日から施行した旨、高遠町長職務執行者から届出があった。 昭和31年10月4日 林虎雄
画定字名 摘要
大字 長藤 旧長藤村の区域
」との記述がある。
現伊那市の字に関しては、伊那市HP「伊那市の字の名称」 によると、伊那市と高遠町などが合併した平成18年3月31日付けで定められ、そのうち旧高遠町に関する字は以下のとおり。
高遠町西高遠
高遠町東高遠
高遠町長藤
高遠町芝平
高遠町荊口
高遠町山室
高遠町藤沢
高遠町上山田
高遠町下山田
高遠町小原
高遠町勝間
〇 土地台帳事務の変遷について
『土地台帳の沿革と読み方』 友次英樹著 日本加除出版 2007.5 【324.86/トヒ】 p.1-4、43、には、土地台帳事務の生い立ちから土地登記簿に統合されるまでの事務の変遷について、次のとおり概説されており、土地台帳は地租徴収のための課税台帳として、土地登記簿の作成以前から、税務官庁において作成、修正されてきたが、昭和25年の税制改正と同時にその事務は登記所に移管され、その後、土地台帳と登記簿の事務一元化が完了するまでの間は併存していたものの、遅くとも昭和46年までに廃止されたことが確認できる。
・明治6年7月の地租条例改正により、土地に対する課税の課税標準が地価に改正され、土地所有者に課税されることとなった。当時の課税事務の所管は府県庁で、その後、明治11年7月22日太政官布告第17号「群区町村編成法」制定により、郡役所に移っている。課税事務では、土地所有者に「地券」本紙を発行し、控えを地券大帳に綴って台帳としていた。
・明治9年3月13日地租改正事務局別報第16号達「地券台帳雛形」によって地券台帳となった。
・明治17年12月16日大蔵省達89号「地租に関する諸帳簿様式」によって地租に関する台帳整備を行うこととされた。その中では、土地台帳は町村戸長役場に備え置くとされた。
・明治22年3月22日法律第13条によって、「地券を廃し地租は土地台帳に登録したる地価に依り其記名者より之を徴収す」とされ、「土地台帳規則」(明治22年勅令第39号)も施行された。同規則第1条には、「土地台帳は地租に関する事項を登録す」とあり、土地台帳が課税台帳であることがあきらかになり、また、土地台帳は、府県庁あるいは島庁郡役所に置くものとされた。
・明治29年11月以降全国に税務署が設置されると、土地台帳事務は税務署所管となり、昭和25年7月31日まで、これが続いた。
・昭和6年の地租法(昭和6年法律第28号)、昭和22年3月の地方税法改正(昭和22年法律第32号)、昭和25年の税制改革での、「新地方税法」(昭和25年法律第226号)の制定により、同年7月31日に、旧来の地租は固定資産税として市町村税に組み入れられた。また、これと同時に、「土地台帳法等の一部を改正する法律」(昭和25年7月31日法律第227号(官報号外第95号)により、土地台帳(及び「いわゆる公図」)が登記所に移管された。この時から、土地台帳事務の目的は土地の表示に関する事項を明確にすることになった。
・この段階から、同一行政庁(法務局)が同一事務(土地台帳の修正事務と登記の変更事務)を取り扱うこととなったため、これの解消に向け、昭和35年から昭和46年にかけて、登記簿のみで、台帳と登記の制度を併せ持つようにする、制度の一元化が行われた。
〇 土地台帳付属地図事務について
『Q&A筆界特定のための公図・旧土地台帳の知識』 大唐正秀著 日本加除出版 2013.5 【324.86/ダマ】 p.19 によると、いわゆる公図の法的位置づけについては次のとおり概説されており、いわゆる公図は、地租徴収のため税務官庁において作成、修正されてきたが、昭和25年の税制改正と同時に登記所に移管され、その後も、法17条(現行法14条)地図が整備されるまでの間、登記所において「地図に準ずる図面」として利用され、前記の制度一元化以降も土地の分合筆等に伴う所要の修正が行われているものがあることが想定できる。
・「不動産登記法の一部を改正する等の法律」(昭和35年3月31日付昭和35年法律第14号)の施行に伴い、同法第2条で土地台帳法が廃止されたため、いわゆる公図の法的根拠は失われた。しかし、登記所には(改正後の)不動産登記法第17条に規定する地図(以下「法17条地図」という。)は整備されていないため、同条の地図が整備されるまでの間、いわゆる公図を継続して利用することとした。
・暫定利用することになったいわゆる公図は、土地の分合筆等に伴う所要の修正をし、閲覧の方法で公開されながら、昭和52年10月1日の不動産登記事務取扱手続準則の一部改正により、「地図に準ずる図面」に位置付けられた。
・平成5年4月23日付の不動産登記法の一部改正により、登記所に法17条(現行法14条)地図が備え付けられるまでの間、「地図に準ずる図面」が備え付けられることとなった。
〇 「土地台帳法」に定める土地の所在、地番の記載手続き等について
・昭和22年3月31日に制定された「土地台帳法」によると、第5条で、「政府は、土地台帳を備え、左の事項を登録する。 一 土地の所在 ニ 地番」とし、同法第6条で、「地番は、市町村、大字、字又はこれらに準ずべき地域を以て地番区域とし、その区域ごとに起番して、これを定める。」と定めていた。これにより、土地台帳には、「市町村、大字、字」等により一連の地番を振っていく「地番地域」を定め、地番を定めていったことが確認できる。
・昭和25年7月31日公布の「土地台帳法施行細則」第18条によると、「地番区域の変更があったときは、地番を変更して土地台帳の登録を修正しなければならない。」と定められており、「地番区域」の範囲が変更になった場合は、その区域の地番を変更して土地台帳の修正が求められていた。
〇 旧登記法における土地の表示について
以下の記述から、土地登記簿に記載すべき不動産の所在には、「郡、市、区、町村、字及び土地の番号」が記載されること、行政区画や名称が変更された場合でも、その変更は登記簿上でも当然変更があったものと看做されること、並びに不動産所在の郡、市、区、町村、字及び土地の番号の情報を、登記所及び土地台帳所管庁が共有して、登記簿及び土地台帳の表示を一致させることとされていたことが確認できる。
・明治32年2月23日に制定布された「不動産登記法」によれば、第35条において、「登記を申請するには、左の書面を提出することを要す 一 申請書」との記述があり、同法第36条には、「申請書には左の事項を記載し、申請人之に署名、捺印することを要す 一 不動産所在の郡、市、区、町村、字及び土地の番号」との記述がある。
・同法第11条には、「登記所は土地に付き所有権の移転又は質権の設定、移転若しくは消滅の登記をなしたるときは遅滞なく其旨を土地台帳所管庁に通知することを要す未登記の土地に付き所有権の登記をなしたるとき亦同じ 土地台帳所管庁は土地の分合、滅失、段別若しくは坪数の増減又は地目、字、番号の変更ありたるときは遅滞なく其旨を登記所に通知することを要す」との記述があり、明治32年5月12日に公布された「不動産登記法施行細則」第68条によれば、「不動産登記法第11条第1項の通知には土地所在の郡、市、区、町村、字、土地の番号、地目、段別若しくは坪数、申請書受付の年月日、登記の目的及び申請人の指名、住所を記載すべし」と記述がある。
同法第59条には、「行政区画又は其名称の変更ありたるときは登記簿に記載したる行政区画又は其名称は当然之を変更したるものと看做す」との記述がある。
・大正2年4月9日に公布された「不動産登記法の改正」(大正2年法律第18号) 『官報』 1910年4月9日 では、第100条の2に、「行政区画又は字の変更に伴い土地の番号の変更ありたるときは土地台帳所管庁は遅滞なく其旨を登記所に通知することを要す 前項の通知を受けたる登記所は遅滞なく登記用紙中表示欄に変更の登記を為すことを要す」との記述があり、行政区画や字の変更で地番に変更があれば、地租税所管庁から登記所に通知され、登記所はその変更を登記簿に反映することとされていたことが確認できる。
・昭和25年7月31日に公布された「土地台帳法等の一部を改正する法律」(昭和25年法律第227号) 『官報』 1950年7月31日 で土地台帳が登記所に移管されたが、土地台帳法第49条の2及び第100条の2により、上記の「登記簿及び土地台帳の表示を一致させること」と「土地の番号の変更があったときは登記所は遅滞なく登記用紙中表示欄に変更の登記を為すことを要す」という内容は維持されていることが確認できる。
・昭和35年3月31日に公布された「不動産登記法の一部を改正する等の法律」(昭和35年法律第14号) 『官報』 1960年3月31日(本紙 9981号) (当館契約データベース「官報情報検索サービス」にて確認) によって、土地の表示の登記については、不動産登記法第78条で、「土地の表示の登記に於いては左の事項を登記することを要す 一 土地の所在の郡、市、区、町村及び字 ニ 地番」と定められ、また、同法第79条で、「登記所は政令の定むるところに依り地番区域を定め土地一筆毎に地番を附することを要す」と定められていた。そして、旧登記法施行令第1条では、「地番区域は、市、区、町、村、字又はこれに準ずる地域をもって定める。」と、第2条第1号で、「地番は、地番区域ごとに起番して定める。」と定められていました。これらの定めは、前述の「土地台帳法」の土地の所在、地番の記載事務に関する定めと同様のものであった。
〇 新登記法における土地の表示について
以下の記述から、土地登記簿に記載すべき不動産の所在は、「郡、市、区、町、村、字及び土地の番号」が記載されること、また地番を付すべき区域を市、区、町、村、字又はこれに準ずる地域をもって定めて地番を付すこと、行政区画又はその名称の変更があった場合には、登記記録に記録した行政区画又はその名称について変更の登記があったものとみなし速やかに区画、字、名称を変更することが定められており、新登記法への改正後も、上記昭和25年以降の法令同様に、地方自治法の施行後に市町村の権限となった市町村内の行政区画や名称が変更された場合には、登記簿上でも当然変更があったものと看做され、かつ、登記官は市町村が定めた名称、字に速やかに変更することが求められていることが確認できる。
・新登記法第34条第1項によれば、「土地の表示に関する登記の登記事項は、第27条各号に掲げるもののほか、次のとおりとする。 一 土地の所在する市、区、郡、町、村及び字 ニ 地番」と定められ、また、同法第35条で、「登記所は、法務省令で定めるところにより、地番を付すべき区域(「地番区域」という。)を定め、一筆の土地ごとに地番を付さなければならない」と定められている。そして、不動産登記規則第97条では「地番区域は、市、区、町、村、字又はこれに準ずる地域をもって定めるものとする。」と、同規則第98条第1号で、「地番は、地番区域ごとに起番して定めるものとする。」と定められ、さらに、同規則第92条第1項によれば、「行政区画又はその名称の変更があった場合には、登記記録に記録した行政区画又はその名称について変更の登記があったものとみなす。字又はその名称に変更があったときも、同様とする。」とされ、同条第2項では、「登記官は、前項の場合には、速やかに、表題部に記録した行政区画若しくは字又はこれらの名称を変更しなければならない。」とされている。
2.旧高遠町において「小字」が廃止された旨の長野県告示について
旧上伊那郡高遠町において小字が廃止された旨の長野県告示を、昭和39年から昭和47年までの長野県報で調査した結果、『長野県報 昭和44年告示1月-6月』 長野県 掲載の「昭和44年5月19日 長野県報告示第249号」に、以下の記述があった。
〇長野県告示第249号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、上伊那郡高遠町の字の区域を次のとおり廃止した旨、上伊那郡高遠町長から届出があった。
昭和44年5月19日
長野県知事 西沢権一郎
上伊那郡高遠町全域の小字を廃止する。
- 回答プロセス
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1.「長野県」、「上伊那」、「伊那市」及び「高遠町」に関連する当館所蔵史誌で、土地登記簿から「小字」が廃止された経緯、次期についての記述があるか調査した。
2.当館所蔵資料及びデータベースにより、土地台帳や土地登記簿謄本の土地の表示に関連する法令、市町村合併等により字の名称、区域が変更される場合などにおいての「土地の表示」についての一般的取扱い、土地台帳と不動産登記の制度の制定、改正の経緯、違い等を調査した。
3.伊那市のホームぺージにより、現伊那市高遠町の字については「高遠町〇〇」と定められていることを確認した。
4.昭和39年から昭和47年までの長野県報について、告示の目次から「字又は区域の変更若しくは廃止」に関連するものを目視調査し、該当する告示の内容を確認した。
- 事前調査事項
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昭和39年に地目変更が記載された土地台帳には「小字」が記載されており、昭和47年に分筆登記された土地登記簿では「小字」が記載されていないことから、この間に上伊那郡高遠町の小字が廃止されたのではないか。
- NDC
- 参考資料
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神崎満治郎 [ほか]編 , 神崎, 満治郎. 新登記用語事典. 六法出版社, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002430404-00 , ISBN 4897709334
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神崎満治郎 [ほか]編 , 神崎, 満治郎. 新登記用語事典. 六法出版社, 1994.
- キーワード
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- 大字、小字
- 土地登記簿
- 土地台帳
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000318276