レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年07月12日
- 登録日時
- 2022/03/04 11:40
- 更新日時
- 2022/03/04 11:44
- 管理番号
- 横浜市中央2656
- 質問
-
解決
かつてイオン天王町店(横浜市保土ケ谷区川辺町3-1)があった場所に1943年から1945年にかけて軍需工場があった。
空襲で焼けたようだが、その軍需工場のことについて知りたい。
- 回答
-
1 保土ケ谷区に存在していた軍需工場について
以下の資料から、イオン天王町店があった場所に「富士瓦斯紡績工場」があったこと、その後軍需工場になった
ことが確認できました。資料から確認できた軍需工場の名称は、「北辰電機工業」「北辰電機製作会社」
「北辰航空兵器」「北辰航空株式会社」です。
(1) 『保土ケ谷区史』
保土ケ谷区史編集部会/編 横浜市保土ケ谷区制70周年記念事業実行委員会
1997.10
p.244- 「現在の保土ヶ谷区総合庁舎あたり、川辺町一帯の広大な地域には、戦災で焼失するまで大規模な
近代的紡績工場があった。
富士瓦斯紡績保土ケ谷工場である。」との記述があります。
p.247 「富士紡績跡地の周辺」(平成8年現在)という地図から、天王町サティが当時の富士紡績敷地に
含まれていることが分かります。
天王町サティは、平成23(2011)年にイオン天王町店に店名変更しています。
イオン天王町サイトで店名の変遷が確認できます。
(https://www.aeon.com/store/イオン/イオン天王町店/archive/1100662)
1977年11月 ニチイ天王町店ショッピングデパート
1992年 天王町サティ
2011年 イオン天王町店
p.365 保土ケ谷の変転 第一項(1)“撃ちてし止まん”(一九四三-①)
「川辺町の富士瓦斯紡績が撤収した跡地には、軍需工場の北辰電機工業が進
出してきて兵器生産を始めた。」という記述があります。
(2) 『保土ケ谷いまむかし 写真集』 保土ケ谷宿400倶楽部/編 郷土出版社 1993
p.17 「太平洋戦争で富士瓦斯紡績会社が北辰航空兵器に転換して軍需工場になり」という記述があります。
(3) 『保土ヶ谷ものがたり 保土ケ谷区制五十周年記念誌』
記念誌発行部会編集委員会/編集校訂
保土ケ谷区制五十周年記念事業実行委員会 1977.6
p.149 震災と空襲 空襲と疎開
「富士紡保土ヶ谷工場は、既に十八年頃撤収し、設備を大分県中津に移していた。その後に入った北辰航空
兵器工場が、爆撃の的になって全焼した。」との記述があります。
(4) 『横浜の空襲と戦災 4外国資料編』
横浜市,横浜の空襲を記録する会/編 横浜市 1970.1
p.145-146 第二章戦術作戦任務 第三節 目標情報表 1東京第十一号
横浜市が被災した際の記録として、参照番号・目標番号・名称・適用が表にまとめ
られています。
参照番号九〇七は、名称に「富士ガス紡績」、摘要欄に「北辰電機製作会社のための爆撃照準器と自動操縦
装置の部品の生産に転換したと伝えられる。」と記載されています。
(5) 『横浜市史 Ⅱ 資料編 5 戦時・戦後の労働と企業』
横浜市総務局市史編集室/編 横浜市 1995.3
p.565 第五章 横浜-川崎市域工場名簿・労働組合名簿
1945年8月15日前の神奈川県下に存在した全ての工場について県労政課が調査、記録した『工場名簿』の
抜粋を収録しています。(調査日 1945年10月1日付)
p.604 「北辰航空株式会社」が掲載されており、住所「川辺町1」、8月15日前の業種
「飛行機部品製造」とある他、従業員数の記載もあります。
(6) その他、以下の資料にも富士瓦斯紡績保土ケ谷工場から軍需工場に転換されたことや被災したことが記載
されていますが、軍需工場の具体的な規模や詳細は記載されていませんでした。
ア 『八十年わが町保土ケ谷 区制80周年記念』
保土ケ谷区制80周年記念事業実行委員会 映像・写真部会/編
保土ケ谷区制80周年記念事業実行委員会 2007.10
イ 『フォトアルバム想い出の保土ケ谷』
市政100周年記念事業保土ケ谷区実行委員会/編
市政100周年記念事業保土ケ谷区実行委員 1988.8
ウ 『ほどがや散策ガイド 歩く見る知る 改訂』
横浜市保土ケ谷区地域協働課/〔編〕 横浜市保土ケ谷区地域協働課 2007.9
2 「北辰電機工業」「北辰電機製作会社」「北辰航空兵器」「北辰航空株式会社」について
上記名称から調査をしました。
保土ケ谷工場との関わりについて確認することはできませんでしたが、参考として情報提供いたします。
(1) 読売新聞オンラインデータベース「ヨミダス歴史館」
(https://database.yomiuri.co.jp/rekishikan/)では、北辰航空兵器について
報じた新聞記事が見つかりました。
「働く女性を快適に 県が新しい管理法を探求 母子さながら 北辰航空兵器」
読売新聞 1944年2月29日 朝刊地域(神奈川)版
北辰航空兵器で働く女性の労働環境について報じられています。
所在地については記述がありません。
「紡績工場の長所を生かした宿舎」をいう小見出しがあります。
(2) 『日本会社史総覧 上巻・下巻・別巻』 東洋経済新報社/編 東洋経済新報社
1995.11
別巻の索引から、「北辰電機」について、「横河電機」の項に掲載があることが分かりました。
上巻 p.1082「横河電機(旧社名 横河北辰電機)」から引用。
「1983年(昭58)4月に行われた(株)北辰電機製作所(当時業界3位)との
合併も、同社の事業拡大の上で、特筆に値する。北辰電機製作所は
1919年(大8)4月、清水荘平が工業計器の国産化を企画して、東京・麻布に
同じ北辰電機製作所を個人創業したことに始まる。わが国で初めて
工業用温度計の生産に着手した。その後34年(昭9)1月、新工場を東京都大田区下丸子に
建設(後の本社所在地)し、この年4月に株式会社に改組した。」
(3) 『ダイヤモンド会社要覧 昭和29年上期版』ダイヤモンド社 1953.9
p.267 北辰電機製作所
所在地は大田区下丸子町312、設立は大正八年、とあります。
(4) 『会社四季報 昭和28年第1集』洋経済新報社 1952.12
p.258 北辰電機製作所
所在地は大田区下丸子町312、設立は昭和二十四年二月、とあります。
(5) 「国立国会図書館デジタルコレクション」(https://dl.ndl.go.jp/)
「北辰電機」に関する以下の資料が見つかりました。
『北辰電機の概要』 北辰電機製作所 昭和15 p.4-5,98-104
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1033819)
企業の概要や生産している製品を陸軍省・海運省へ軍用機器を納入していることが記載されています。
(6) その他、より詳細な情報が掲載されていると思われますが、横浜市立図書館では
所蔵していない資料を紹介します。
ア 「Engel 営業報告書・有価証券報告書・目論見書データベース」
(東京大学経済学図書館)
(https://www.i-repository.net/il/meta_pub/G0000381eigyo_EIGY09573)
東京大学経済学図書館で所蔵している営業報告書、有価証券報告書、目論見書を
統合検索できるデータベースです。
マイクロフィルム化された昭和18(1943)年の「北辰航空兵器」の営業報告書が
収録されているようです。
イ 『北辰電機 : オートメーションに挑戦する : 創立50周年記念』
ダイヤモンド社 編 ダイヤモンド社 1969.10
北辰電機の創立50周年を記念した社史です。
ウ 『富士紡績株式会社五十年史』 沢田謙/共著 富士紡績 1947
エ 『富士紡績百年史 上巻 下巻』 富士紡積株式会社社史編集委員会/編
富士紡績 1997.05
ウ・エはそれぞれ富士紡績(富士瓦斯紡績から社名を改称)の社史です。
※インターネット情報の最終確認日は2021年12月12日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000313021