レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2018/02/05 18:59
- 更新日時
- 2020/02/16 15:51
- 管理番号
- 水戸中2018-008
- 質問
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解決
水戸市下市の石垣橋の構造について記載のある資料はあるか。
- 回答
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『水府奇談』265ページの「安産の名水が湧出した・・・石垣橋あたり今昔」の項目の中に,1991年5月ごろ竣工する「新石垣橋」が「全長51.1メートル,両側に歩道とバルコニーつき幅員21メートル」との記述がある。また268ページに以前の橋の写真(大正5年ごろ)がある。慶安二年に築かれた「石垣」は築城法によって築かれ、「石と石の固定には鉛の棒が用いてあった」とあり。図面などは記載がない。
『明治後半期と大正時代の下市回顧録』26から27ページの「石垣橋」の項目に説明と写真が記載されているが上記資料ほどの記述はない。これによると「いしがきばし」ではなく「いしかきはし」と読むようである。
『江戸時代の水戸を語る』43ページ「石垣橋を中心に」の項目に「慶安二年威公の命により下野藤八郎有遠が築き上げ」という記載がある。他は「石垣橋」を中心にした地域の様子や「築造した慶安より九十四年を経て崩壊」など橋の歴史は書かれているが、構造(どんな石だったのか、形状など)まで言及した部分はみつからなかった。
『明治大正の水戸を行く』351ページ「竹隈町の巻」の項目の中に簡単な記載がある。これによると昔(幕末ごろか)は「富士見橋」と言われ、明治時代には「轟き橋」と呼ばれていた。
『城東歴史散歩 続』108ページに「石垣橋」の項目があり、簡単に記載がある。
『広報水戸』平7.10/1号最終頁「はしのはなし⑥石垣橋」の記事が掲載されている。簡単な説明文と平成7年当時の橋の写真が記載されている。
- 回答プロセス
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蔵書検索システムより「石垣橋」をキーワードに抽出し、資料を調査する。
各種資料を読み合わせると石垣橋は、元は水戸城の石垣として作られ、別名として「轟橋」「富士見橋」と呼ばれていたようである。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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前田 香径/著 , 前田 香径 , 前田 香径. 江戸時代の水戸を語る. 常陸書房, 1983-00.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062820529-00 (当館請求記号:M0213.4) -
金子 竹酔/著 , 金子 竹酔 , 金子 竹酔. 明治後半期と大正時代の下市回顧録. 新いばらきタイムス社, 1975-05.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062818586-00 (当館請求記号:M0213.7) -
網代茂 [著] , 網代, 茂, 1926-. 水府綺談. 新いばらきタイムス社, 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002212164-00 (当館請求記号:M0213) -
坂田 暁風/著 , 坂田 暁風 , 坂田 暁風. 城東歴史散歩 続. 坂田暁風, 2003-06.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062577076-00 (当館請求記号:M0291) -
前田香径 著 , 前田, 香径, 1893-1968. 明治大正の水戸を行く. いはらき新聞社, 1959.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001028466-00 (当館請求記号:M0213.7) - 水戸市広報課. 広報 水戸 平成7年~平成9年. 水戸市広報課, 1997年. (当館請求記号 G0318)
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前田 香径/著 , 前田 香径 , 前田 香径. 江戸時代の水戸を語る. 常陸書房, 1983-00.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000230069