レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月28日
- 登録日時
- 2017/12/07 19:35
- 更新日時
- 2017/12/07 19:47
- 管理番号
- 横浜市中央2494
- 質問
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解決
横浜では、明治20(1887)年に近代水道が完成して給水が始まるまで、
一般市民が生活で必要とする水が不足していたため、
近隣の村から水を運んできて売っていた「水売り」がいたそうです。
近代水道創設までの横浜の一般市民の水事情や、水売りについて知ることができる資料はありますか。
- 回答
-
1 当時の横浜の水事情や水売りについて書かれた資料をご紹介します。
(1)『横浜市水道七十年史』 横浜市水道局/編 横浜市水道局 1961.3
p.15~18の「第2編 横浜と水の問題」に、当時の水事情や、
水売りについて書かれています。
当時の様子については、『横浜沿革史』の記述が引用されています。
また、神奈川県庁が暴利取締のために出した布達についても引用されており、
市民が水不足に苦しんでいたことや、水売りの横暴さが読み取れます。
「錦絵の水売り」や「当時の水売り規則」の画像が掲載されています。
この資料は、横浜市の水道事業の歴史について書かれている資料で、
p.1023~1036には「横浜市水道事業年表」(嘉永6(1853)~昭和33(1958)年)が、
巻末には掲載されている写真の「写真目次」があります。
(2)『横浜水道百年の歩み』 横浜市水道局/編 横浜市水道局 1987.10
p.11-13の「1.開港当時の水事情」に記述があります。
こちらには「The Far East」(明治3年8月1日)の
「水売り」の写真が掲載されています。
『The Far East an illustrated fortnightly newspapers. vol. 1 Reprinted academic ed.』
Yushodo Booksellers 1965.9
また、「正確な記録はないが」として、
「天秤棒に一斗樽(約18ℓ)を二つ下げて売り歩いたが、
米1升(約1.8ℓ)」が1銭5厘という時代にこの水が
1升当り1銭で飛ぶように売れ、はるばる今の三境(旭区)あたりからも
水売りに出かけたという話が残っている(『あさひ区内散見』:(大菊一太郎著より)。」
という実際の水売りの様子が引用されています。
(3)『あさひ区内散見』 大菊一太郎/著 横浜市旭区役所区民相談室 1984.10
p.32に「第二十五話 三ツ境の「水屋」」として、
『横浜水道百年の歩み』で紹介されている水売りの話が掲載されています。
(4)『横浜沿革誌』 太田久好/著 太田久好 1892.7)
p.219に、明治20年10月17日「横濱市街ヘ野毛山貯水池ヨリ配水ヲ始ム」の箇所に
当時の水事情に関する記述があり、
これは、『横浜市水道七十年史』『横浜水道百年の歩み』で引用されています。
(5)『横浜市史稿 政治編 3』 横浜市役所/著 横浜市役所 1932.5
p.499~519の「第一項 横濱水道」に、近代水道創設までについて書かれています。
『横浜市水道七十年史』『横浜水道百年の歩み』で引用されている
明治5年の神奈川県からの布達がp.518に掲載されています。
(6)『横浜市水道第二拡張誌』 横浜市役所/編 横浜市役所 1919.3
p.26までに、近代水道の創設に至るまでについて書かれています。
p.1には、「飲料に適する水脈なく」、「到底全市街日常の需用を充す能はす」
とういうような、水不足に関する記述があります。
(7)『横浜市水道誌』 横浜市水道局/編 横浜市水道局 1904.3
p.13に「第一章 開港当時の飲料水」があり、水不足について書かれています。
(8)『みずのないみなと 横浜水道前史物語』 小林勇/著 審美社 2010.6
物語として書かれている資料ですが、p.41~48で水売りについて描写があるほか、
近代水道ができるまでの横浜の様子についても書かれています。
2 当時あった水売りに関する規則について調べることができる資料をご紹介します。
当時の水売り規則から、水不足、水売りの横暴という状況があったということを
うかがい知ることができます。
(1)『横浜水道関係資料集 1862~97』 樋口次郎/編訳 横浜開港資料館 1987.7
『ジャパン・ヘラルド』『ジャパン・ウィークリー・メール』等の
横浜で発行された英字新聞から、横浜の水・水道・衛生改革等に関する
資料や記事が活字で収録されています。
当時の横浜の水事情について書かれた記事が掲載されているほか、
p.45の下段に、1879年10月15日の議題で「飲料水の販売問題」について、
「県が水売り業者に対し必要な監督を行い、他にも水や氷の販売には地方規則も
幾つかあるとも述べた」と書かれており、当時、水売りに関する規則が
いくつか存在していたことがわかる記事が掲載されています。
(2)『神奈川県史料 第1巻 制度部』 神奈川県立図書館/編集 神奈川県立図書館 1965.3
「序」によると、この資料は明治政府が各府県に命じて編纂したもので、
明治元年から17年までの神奈川県の様々な分野について詳細に記録された資料です。
例えば、p.450~452の「禁令(明治11~13年)」に、「飲水販売規則」が掲載されています。
『神奈川県史料 第10巻 索引篇』(神奈川県立文化資料館 1975.3)の索引で
p.32に「飲料水」、p.188に「水」の項目があり、
それぞれに関連する資料を調べることができます。
(3)『五味亀太郎文庫目録』 横浜開港資料館 1995.3
『横浜市水道七十年史』に掲載されている「当時の水売り規則」について、
知ることができる資料がないか探しました。
『横浜市水道七十年史』には、「横浜市立図書館蔵」と記載されていますが、
確認したところ、横浜市立図書館では所蔵していないようです。
『五味亀太郎文庫目録』のp.23に「水売規則 明治6(1873)9 1冊(3丁) 五味文庫8-10」
の記載があり、開港資料館で所蔵していることがわかります。
図版がないので内容の確認ができませんが、この資料に書かれている「連署人」と
『横浜市水道七十年史』のp.16、17に「当時の水売り規則」として
写真で掲載されているものの署名、また両方「明治6年9月」の規則であることから
同一の物ではないかと思われます。
『五味亀太郎文庫』は、戦前に五味亀太郎氏が収集した横浜資料コレクションで、
横浜市史編纂のために収集され、横浜開港資料館に寄贈・寄託されました。
『横浜史料目録』(横浜市文教部生活文化課/著 横浜市文教部生活文化課 1950)は、
開港百年史の編纂を目的として収集した資料について、
1950年12月31日現在で所蔵している横浜史料の仮目録ですが、このp.62に
「水売規則(明6, )」と記載があり、「6.五味文庫 地図類」に記載があります。
「横浜史料の宝庫-館蔵諸文書」(平野 正裕(『開港のひろば』 第84号 横浜開港資料館
2004年4月28日発行 p.6~7))に、1981年に横浜開港資料館が開館したこと、
横浜開港資料館では、戦前・戦後の市史編集事業のなかで収集された資料を収蔵していること、
図書館や横浜市史編集室等から移管された資料があったことについて記載されています。
横浜市が収集した「当時の水売り規則」は、
最終的には横浜開港資料館で所蔵することになったことがうかがえます。
3 参考に、他都市の近代水道創設以前の水事情や水売りについて書かれた資料をご紹介します。
(1)『水と暮らしの文化史』 榮森康治郎/著 TOTO出版 1994.12
p.81~96まで、横浜ではありませんが日本の水売について、
p.98~134は、横浜も含む日本各地での水事情や水売りについて書かれています。
(2)『東京の水売り 都史紀要』 東京都/編 東京都 1985.3
当時の東京の水事情や水売りに関して書かれおり、関連史料が紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生工学.都市工学 (518 8版)
- 関東地方 (213 8版)
- 蔵書目録.総合目録 (029 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000226045