レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/10/24
- 登録日時
- 2017/12/01 00:30
- 更新日時
- 2017/12/01 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-170066
- 質問
-
解決
高橋鐡牛『護良親王と大忠大義の淵邊義博』に出てくる以下の地名の読み方,及び現在のどの地域にあたるかを知りたい。
p.33 8-9行目「武蔵の安顯原」
- 回答
-
1 「武蔵の安顯原」の出典について ※【 】は当館請求記号
資料1-2より,お尋ねの記載は,『梅松論』からの引用のようです。
資料1 高橋鉄牛『護良親王と大忠大義の淵辺義博』陸陽社, 1926【K204/タ2】
p.33 「第五章 護良親王の御事情」の項
「(前略)(梅松論)かかる所に、兇徒はや一國を相從ひ、鎌倉へ攻め上ぼる間、澁川刑部、岩松兵部武藏の安顯原に於て(後略)」
資料2 池辺義象 編『校註国文叢書 第18冊』博文館, 1915【918/コ2/18】
「梅松論上」項中のp.25
「(前略)かゝる所に、凶徒はや一國を相從へ、鎌倉へ攻上る間、澁川刑部、岩松兵部、武藏安顯原に於て(後略)」
2 武藏の安顯原の読み方及び場所について
『梅松論』について調査したところ,下記資料に「武蔵の安顯原」の読み方及び場所の記載がありました。
・物集高見 監修〔ほか〕『新釈日本文学叢書 第10巻』日本文学叢書刊行会, 1923
「梅松論 上」の項
本文部分「(前略)武藏安顯原(むさしやすあきがはら)(後略)」
上部解説部分「安顯原 女影原なるべし。」
上記資料は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されております。
URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627934 (最終アクセス日:2017/08/09)
書誌ID:000011051341
コマ番号:127
上記資料より「女影」について調査したところ,下記資料に記載がありました。
資料3 『日本歴史地名大系 11 埼玉県』平凡社, 1993【291.03/ニ12/11R】
pp.508-509 「女影村(おなかげむら)」の項
「(現)日高市女影・女影新田・旭ヶ丘(中略)建武二年(一三三五)七月の中先代の乱の際、信濃国で蜂起した北条時行軍と建武政権側の渋川・岩松軍が「女影原」で戦い、敗北を喫した建武政権側の渋川刑部・岩松兵部は自害した。(梅松論・七巻冊子)(後略)」
資料4 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店, 1980【291.03/ニ11/11R】
p.209 「おなかげ 女影<日高町>」の項
「「めかげ」ともいう(吾妻鏡)。県南部,小畦(こあぜ)川上流域の武蔵野台地に位置する。(中略)池の近くは女影ヶ原あるいは高麗原と称する古戦場。建武2年7月には北条時行軍と足利直義軍が激突している。(後略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 埼玉県
- 安顕原
- 南北朝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 図書館
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000225710